『「関係の空気」「場の空気」』冷泉彰彦
日本社会の持つ「場」の関係性を「空気」という軸で語っている本。
見方は面白いが、面白いだけ。「こういう見方がある」という意味では参考になる。
本書の中で気になった箇所は
…私の知り合いのアメリカ人で、日本でALT(Assistant Language Teacher)として
学校で教えた経験のある人がいる。彼によると、授業でネイティブの発音を教えても、
中学校以上の生徒はなかなかマネをしてくれない、という”障壁”に悩む外国人講師
が多いのだそうである。これも「空気」のせいである。
子音やアクセントの正確な英語は「気取っている」から「いけない」という、なんとも
卑屈な空気が中学生の世界まで蝕んでいるのだ。私は、日本語で育った人間が多少母音の
強い「日本語のアクセント」の残った英語で話すことは別に恥じる必要はないと思う。だが、
わざわざ日本風の発音にこだわる必要はないし、まして細部の正確な発音を煙たがる必要は
ないだろう。…(本書143ページ)
この部分を読んだとき、なぜか西田ひかるの「ノーシン」のCMを思い出した。
CMの最後に「私はすぐになおりたガール」という駄洒落コメントでしめるのだが、
西田ひかるは「わたしはすぐになおりたgirl」と正確な発音でしめた。
それはそれで印象があり、当時girlの発音に特段の注意を払ったものだが、
程なくして西田ひかる自体が「なおりたガール」というコメントに直されていた。
これはやはり「気取っている」という空気に支配されたのだろうか。
ともあれ、モノを考えるヒントになる本です。但し、何かの実証に裏打ちされたものでは
ないため、エッセイとしての役割が限界かと思います。
それと、第5章の提案は、もし直接だれかに向かって話したとしたら、こんな返事が来そうだ。
「センセー、その話つまんねー」(本書192ページ)
見方は面白いが、面白いだけ。「こういう見方がある」という意味では参考になる。
本書の中で気になった箇所は
…私の知り合いのアメリカ人で、日本でALT(Assistant Language Teacher)として
学校で教えた経験のある人がいる。彼によると、授業でネイティブの発音を教えても、
中学校以上の生徒はなかなかマネをしてくれない、という”障壁”に悩む外国人講師
が多いのだそうである。これも「空気」のせいである。
子音やアクセントの正確な英語は「気取っている」から「いけない」という、なんとも
卑屈な空気が中学生の世界まで蝕んでいるのだ。私は、日本語で育った人間が多少母音の
強い「日本語のアクセント」の残った英語で話すことは別に恥じる必要はないと思う。だが、
わざわざ日本風の発音にこだわる必要はないし、まして細部の正確な発音を煙たがる必要は
ないだろう。…(本書143ページ)
この部分を読んだとき、なぜか西田ひかるの「ノーシン」のCMを思い出した。
CMの最後に「私はすぐになおりたガール」という駄洒落コメントでしめるのだが、
西田ひかるは「わたしはすぐになおりたgirl」と正確な発音でしめた。
それはそれで印象があり、当時girlの発音に特段の注意を払ったものだが、
程なくして西田ひかる自体が「なおりたガール」というコメントに直されていた。
これはやはり「気取っている」という空気に支配されたのだろうか。
ともあれ、モノを考えるヒントになる本です。但し、何かの実証に裏打ちされたものでは
ないため、エッセイとしての役割が限界かと思います。
それと、第5章の提案は、もし直接だれかに向かって話したとしたら、こんな返事が来そうだ。
「センセー、その話つまんねー」(本書192ページ)