花鳥風月記

流れる水に文字を書く

2023年 新年の辞

あけましておめでとうございます。

 

どんな花よりタンポポの花を、というよりも

千万の罵詈雑言をあなたに送りましょう、という

SNSの世界を眺めているだけで、

気持ちが萎える今日この頃です。

 

インターネットというものが世に出始めて

どのくらい経つのでしょう。

駅の伝言板を使っていた世代が踏み入れた当初は

エチケットならぬ「ネチケット」というものがあり、

一般常識から外れていることいついては、

ある程度「戒められて」いた時期もあったと思います。

 

それが、生まれた頃から空気のように使う世代に代わって、

常識外れの言葉が「逆張り」「新しい発想」「論破の言質」として

0と1の世界をまかり通っていることに飽き飽きとしています。

 

改めて「歴史」を学ぶ重要性を感じずにはいられません。

 

昨年は様々なことがありました。

ウクライナへロシアが侵攻したこと。

戦果を求め戦禍を生み、両国の国民が大きな傷を負っています。

そして戦争は物価高や今後起きるであろう様々な不足が

広く世界に平和や経済に影響を及ぼすだろうと思います。

 

あっちがやってるならこっちも、と思うかどうかはわかりませんが、

そんな疑心暗鬼に乗じて、日本では軍事費拡大という名目の武器購入に

精を出すということになりました。

コロナ禍も収まらず、経済も疲弊し、物価高で人々の生活が回らず、

それでも、ミサイルや防空システムに巨額の税金を注ぐようです。

 

そういえば、昨年の7月に元首相が「暗殺」されました。

不思議なことに新聞記事を追っても、「暗殺」という言葉が出てきません。

巷間に深い悲しみを強いるかと思いきや、

それに端を発した「宗教問題」の方が、話題を占めていきました。

半年近くたちましたが、かつて7年ほどあった権勢は

ある意味「はりぼて」のようなものであったと感じざるを得ませんでした。

大きな風船を見せられて、なんとなくふんわりと流されてきたが、

いざはじき飛んでしまったら、貧相なさまが露呈する。

もしかしたら、それは東西を問わない「世の常」なのかもしれません。

 

東京五輪の顛末もまさにそんな感じでした。

今年になって、小さな「事件」で済ませてしまうのか、

それとも日本が獲得したメダリストを凌駕するような

逮捕者が続出するのか、今後も目が離せません。

 

暗い世相を、スポーツなどの活躍で溜飲を下げることが続いた一年でした。

でも、いつまでもそれが続けられるとは思えません。

感動や勇気をもらっても、腹が膨れないからです。

 

今年はより一層の「格差」が生まれるような気がしてなりません。

それも貧富の「貧」が中間層をも含むようになるのではないかと思います。

欧米のみならずアジア隣国との格差も感じるようになり、

ますます、世界との懸隔を感じるようになるでしょう。

 

そうなれば「戦争」を喚きだす人の声が大きくなるような気がします。

声の大きい人ほど、自分の言っていることに責任を持たないことも

「世の常」であります。

今年はそんな声が出たら、きちんと「戒める」ことができるように

ならないといけません。

 

豪勢な武器を持ちながら、知性の貧しい人が多い国と

貧相な武器でも、知性豊かな人の多い国とでは、

明らかに後者の方が優れ、生き残ることができるはずです。

日本はかつて日本国憲法を得た際に身をもって感じ、誓ったはずです。

 

改めて「歴史」を学ぶ重要性を感じずにはいられません。

大事なことだから2回言いました(これもSNSでよく使われる方言ですね)。

 

本年も宜しくお願い申し上げます。