花鳥風月記

流れる水に文字を書く

新年の辞 2011

あけましておめでとうございます。

2010年は、異常なくらいに暑かった想い出があります。
それに比して、世の中の動きは、いろんな「がっかり」も積み重なって、
見方は「冷ややか」であったのではないでしょうか。

メディアを見ても、もともと分かっている数々の問題点を
個人の振る舞いによる欠点だけをあげつらい、本質を矮小化し、
ただ自己を売り出すことに執心してしまったと映りました。
それは来るべき時代に今の「固形メディア」が
過去のものとして、存在が否定されることに危惧を抱き、
その自己主張が、耳障りな執拗低音として響いているような気がします。

そしてこういう時代だからこそ、巷間の関心をひくのは「美しいもの」。
あらゆる感覚でそれを求めるからこそ、
メガネをかけてまで、次元を超えようとする愚に走るのでしょう。

しかし、その「美」を求める中の「醜さ」を感じられずにはいられません。
それは、誇れば誇るほど、賞賛すればするほど、
何か時代を逃避したい、ある種の信仰心のように、
奇妙な空気に醸し出される異臭として嗅覚に訴えてきます。

時に思うことは、「美」は創造ではなく、「発見」ではないかと。
それは日々目にするものにも、
例えば、一枚の写真の、ふとしたものの中から、
感じられるものではないかと。

さればこそ、様々なツールで設(しつら)えた、いろんな四角の窓から、
視線を動かしてみてはいかがでしょうか。
際限のない視界で、世界を感じ、球体の一部として、地球を感じる。
それこそが、生きているという証となるような気がします。
生きている人間として、ふれあい・語り合う。
今更ながらに、それが大切な一年であると、思わずにはいられません。
本年も宜しくお願い申し上げます。