花鳥風月記

流れる水に文字を書く

ゴンドラの唄【アキさんへ】


ゴンドラの唄

久々のブログ更新が、こういった文章になるとは思わなかった。

 

8月15日(土)の深夜、Twitter

Hot Houseのアキさんの訃報を知った。

まだそのことが自分の頭の中で収まらず、

この文章で気持ちの整理をしておきたい。

 

2001年の夏の頃だと思う。

当時TBSの金平茂紀メールマガジン

(その後『二十三時的』という本になった)

酒井俊さんの「四丁目の犬」を知り、

その歌を聴きたくて、職場至近の

高田馬場のHot Houseに行くようになった。

 

狭い階段を下りた突き当りは、

まさに異空間だった。

日本一なのか世界一なのか

とにかく狭いライブハウスで

壁沿いの席は人数が決まっていて、

常連さんはカウンターの後ろや

演者の真ん前に陣取って

音楽をむさぼるように聴いていた。

 

ピアノが響こうが、

ドラムが騒ごうが、

サックスが唸ろうが、

俊さんがマイクなしの生声で歌う。

その歌声は、それぞれの楽器の個性を包み込むように柔らかに、

時には聴く人の脳幹に響くような激しさで、歌い上げる。

 

最初は所在なげに聞いていたが、

やがてアキさんから「だいちゃん」という

称号をもらい、トイレ前の席が指定席になった。

 

歌の魅力もさるものながら、

ここに来る多くの人は

アキさんの手料理に魅了されていた。

うつむいて歌を聴きながら、

絶えず奥の厨房から回ってくるお皿で現実に戻され、

菜箸を使って、自分の取り分を確保する。

だんだんとテーブルがお皿で占有され、

さながらパーティーやお祭りのような気分にもなる。

 

最後はベレー帽がまわってリクエストとおひねり。

リクエストに採用された人は、ボトルワインを注文し、

みんなにふるまう。

その頃には、終電も近づき、店から出て、

速足で駅に向かう。

 

20時半開場、21時開演は決して守られることなく、

それでいて、誰もがあせらない、心地いい空間だった。

足しげく、というペースではなかったが、

行けば必ず、変わらない空間があった。

 

高田馬場に勤めて四半世紀になるが、

決して変わることのない「居場所」だった。

だからこそ、その喪失感がこびりついて離れない。

 

ここまで書いても、何か物足りない。

浴びるほどトンカツを食べたり(カツカツ祭り)、

誕生日を祝ってもらったり、

毎年バースデーカードをもらったり、

20年近くの思い出はとめどなく溢れてくる。

 

しかし、もう締めないと。

最後は、いつも俊さんにリクエストしていた

「ゴンドラの唄」を聴こう。

 

アキさん、ありがとうございました。