日本国憲法百景 (42)
暖かい陽射しと寒い風景
最近は、食事に気を遣うだけでなく、
自宅から駅までも、なるべく歩くようにしている。
日を追うごとに春の日差しを感じる。
駅までの道のほとんどが、親水公園になるので、遅番にもなると道すがら、
水辺の鳥、散歩の犬、幼稚園や親と連れ立つ子供が、さらに暖かさを感じさせてくれる。
運河を渡り、用水路を歩くところに、「ボードウォーク」のような場所もあり、
かつてTVドラマにも使われた。4月には桜も咲き、歩くコースとしては申し分ない。
しかしそこに寒い風景があった。ベンチを横切るように、板がつけられていた。
真ん中を仕切ったり、ひどいものは、強制的な3人がけのようなものまである。
察しの良い方はお分かりだと思うが、要するに、寝かせないため。
誰が寝るの、といったことには、想像するに決して難くない。
そんな時思うのだが、結局、そんなことをしても、そこで寝ないのならば、
また別の場所で寝るだけだろう。イタチごっこでしかない。
もっとも、今やそんな諍いは、最終局面に達し、
川べりに並ぶ段ボールとブルーシートは、一つの風景と化している。
公園の空気は自由なはずだ。
様々な人がベンチに腰掛け、様々な話が咲くはずだろう。
時には、休息の縁(よすが)として横になることもあるだろう。
単純な「迷惑」「自衛」「防止」の意識は、人とのつながり、
そして社会のつながりを寸断する。
そこには、おのずと「砦」の内と外を峻別してしまっている。
そんな「砦」の中は、窮屈ではあるまいか。
私たちは、気づかないうちに、何かを「外部(敵)」と感じ、
「守り・守られる」という幻想をもとに、「誰か(敵)」をつくり、苦しめている。
第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、
法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。
最近は、食事に気を遣うだけでなく、
自宅から駅までも、なるべく歩くようにしている。
日を追うごとに春の日差しを感じる。
駅までの道のほとんどが、親水公園になるので、遅番にもなると道すがら、
水辺の鳥、散歩の犬、幼稚園や親と連れ立つ子供が、さらに暖かさを感じさせてくれる。
運河を渡り、用水路を歩くところに、「ボードウォーク」のような場所もあり、
かつてTVドラマにも使われた。4月には桜も咲き、歩くコースとしては申し分ない。
しかしそこに寒い風景があった。ベンチを横切るように、板がつけられていた。
真ん中を仕切ったり、ひどいものは、強制的な3人がけのようなものまである。
察しの良い方はお分かりだと思うが、要するに、寝かせないため。
誰が寝るの、といったことには、想像するに決して難くない。
そんな時思うのだが、結局、そんなことをしても、そこで寝ないのならば、
また別の場所で寝るだけだろう。イタチごっこでしかない。
もっとも、今やそんな諍いは、最終局面に達し、
川べりに並ぶ段ボールとブルーシートは、一つの風景と化している。
公園の空気は自由なはずだ。
様々な人がベンチに腰掛け、様々な話が咲くはずだろう。
時には、休息の縁(よすが)として横になることもあるだろう。
単純な「迷惑」「自衛」「防止」の意識は、人とのつながり、
そして社会のつながりを寸断する。
そこには、おのずと「砦」の内と外を峻別してしまっている。
そんな「砦」の中は、窮屈ではあるまいか。
私たちは、気づかないうちに、何かを「外部(敵)」と感じ、
「守り・守られる」という幻想をもとに、「誰か(敵)」をつくり、苦しめている。
第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、
法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。