花鳥風月記

流れる水に文字を書く

2020年 新年の辞

あけましておめでとうございます。

 

いよいよ年が明けました。

 

今年は積年の「先送り」が一気にきます。

引き返す機会はいくらでもあったのに、

責任を痛感するといいながら、

これっぽっちも持たずに誰かに擦りつけ、

挙句の果てに責任逃れをするという

美しい国の慣習がいよいよどん詰まりになります。

 

偉い人・強い人・賢い人は、誰かに擦り付けた後、

高みの見物をするでしょう。

「ほら見たことか」同時に

「俺の時にはうまく行っていた」と

逃げ切ったことに愉悦すら覚えることでしょう。

 

社会は都合よく分断され、

上級国民・二級国民という分化ではなく、

選民と二種類の「高級賤民」と全き賤民の

四種類に分かれることになるでしょう。

 

二種類の「高級賤民」とは、

権利はあるのに貧しい日本人と

経済的には安定するものの、権利のない外国人

 

全き賤民とは、

権利も経済的な安定も放棄してしまった

あるいは放棄させられた、

さらには放棄したことに気づかない人を指します。

 

選民は、この三種類の賤民をメディアやSNSを使って

上手に分断します。

「世のため人のため」という美徳は

とっくの昔に粗大ごみにでも出されたかのようです。

そうでないと、公僕と言われる人の根腐れが説明できません。

金持ちや権力者はひたすら弱いものから

あらゆるものを吸い上げていく。

それが恐らく日本の戦後社会で

培われた新しい美徳なのかもしれません。

あるいはそれを「グローバリズム」と

言い換えることができるかもしれません。

 

選民は立場を守るため、

そのおかしさに気付ける人をとにかく少なくしたい。

そんな下心が漏れ出ても全く恥じることなく、

「改革」が断行されています。

私たちはたとえ身の回り物の値段が上がっても、

手に取る食べ物の量が減っても、

何かのためにじっと耐えています。

「何か」も分からずに、です。

 

もう少ししたら

「ほしがりません、勝つまでは」という標語が出てきても

違和感はなくなるでしょう。

社会階層が固定されたら、

地位の低さや貧しさきから脱却できるモデルケースとして

兵役制度も拡充するでしょう。

 

今やそういったグランドデザインを

政治・経済・文教の各パートで

描いているのでしょう。

 

イベント事に浮かれさせられることなく、

社会に向け正しい怒りを持ち、

そしてそれがどこに原因があるかを

しっかり見据えるような人の多い社会で

あってほしいと思います。

 

本年も宜しくお願いします。

 

i新聞記者

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新宿ピカデリーにて。

上映館は少ないものの、「新聞記者」人気で

全国展開しているようだ。

 

こんどはドキュメンタリーとして制作された。

タイトルに着く「i」はいろいろ解釈があるようだが、

森達也の発想からすれば、

恐らくは五十音順でいくと、一番めに並ぶからだと思う。

(きっとiPS細胞を倣っているのだろう)

 

東京新聞の望月衣塑子記者を追ったドキュメンタリー。

社会部記者として、東奔西走する姿を映し出し、

時に政権の不条理をあぶりだしている。

それは官邸の記者会見での質問妨害や、

新聞社に対しての圧力などにも表れている。

 

もう一つの課題は、監督の森達也

毎週金曜日に実施される官邸記者会見に

参加して、望月記者を撮影することだった。

「入れますよ」という建前とは別に

申請書を出しても認めないという本音をさらけ出させる。

 

途中、展開のなさにストレスがたまったのか、

菅と望月のアニメーションが挿入される。

森達也もしんどかったのだろう…。

なんとなくポエムに走ったのかな、と感じた。

 

記憶にございません!

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ブログを中断していた時に見た映画は3本。

「新聞記者」「記憶にございません!」「i新聞記者」。

年末の在庫整理で連続投稿。

 

この映画はたしか日本橋で観たと思う。記憶があいまい。

しかし見た後の印象ははっきりしている。

こんなつまらない三谷映画を見たことなんて、記憶にございません!

 

いやー、やっぱりフジテレビがらみ。作りこみがうざい。

「政権に忖度」有無を話題にしつつ、

結果として観客に忖度してしまって、陳腐な内容になってしまった。

それは、総理大臣という稀有な立場の設定が生かされず、

べつに会社社長であっても全く変わらないじゃないか、という

展開のつまらなさを導き出した。

 

同郷の計画した、国会横の温泉施設の話を広げた方が

よほど面白かったんではないかと思う。

そうしなかったのが忖度なのか?

 

配役の妙でウケを狙ったのかもしれないが、

それ以上の面白さはない。

ペーソス?それもなかったなあ…。

 

ここが当人にとっての「どんづまり」なのかもしれない。

 

新聞記者

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角川シネマ有楽町にて。

最初、新宿ピカデリーに行ったが、満席だった。

ちょうど空き時間も適当だと思い、有楽町に移動。

それでも、上映前には、席はほぼ埋まっていた。

 

東京新聞の望月衣塑子記者の著作を原案として

シナリオが作られた。

当人も、前川喜平、マーティン=ファクラー、南彰といった

メンバーとともに座談会のようなシーンで「出演」している。

 

現政権を彷彿とさせるようなシーンの数々。

これは「エンターテイメント」と言いながら「ドキュメンタリー」に近い。

その逆の言い方もできるだろう。

 

主演の女性記者、シム・ウンギョンは、「サニー」の時の初々しい姿から、

本格的な女優になっていた。(ちょっとイモトアヤコに似てる…)

 

主演女優を設定するにもきっと苦労があったのだろう。

選ばれたらきっといわれのない誹謗中傷も恐れただろう。

もっともシリアスな役を演じられる日本人女優がいないのかもしれないが…。

 

日本語に少しもたつくところは、帰国子女という設定にし、

セリフ回しのほとんどを周りの俳優が語っていた。

それはそれでクリント=イーストウッドの映画風で良いが…。

しかし終盤のシム・ウンギョンのセリフは語学力を超えて迫真に迫っていた。

 

映画のエンディングは、どういう展開か、含みを持たせるものだった。

個人的には、ポーランドソ連の映画のような、

どんよりとした結末に感じた。

 

細かいところでアレだが、東都新聞という架空の設定ながら、

特ダネを追いかけるのは、読売・朝日・毎日と言っていたような…。

「朝日・毎日・読売」という伝統的な並び順でないのは、

購読部数順なのか、腐っている順なのか、その辺が気になった。

愚短想 番外編 コンパル@名古屋栄

だいぶ時間が過ぎてズルズルになった名古屋編。

これでラストにしておこう。

 

昼前にもパンを食べたが、昼過ぎもパンにした。

 

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こちらは玉子サンドが美味しそう。

 

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アイスコーヒーと合わせて注文。

アイスコーヒーは、ホットコーヒーに

砂糖を入れてから、氷の入ったグラスに入れる、

というシステム。要は自分で好みの味にしろ、ということ。

 

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しかし、氷があまりにもたくさん入っていたので、

注いだら、はみ出た氷を伝ってこぼれてしまう…。

ああ、面倒…。

 

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玉子サンドは、甘みとしょっぱみが程よい

玉子の厚焼きが入る。なかなか映える。

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こちらも持ち方を気をつけないと、

中身がボトッと落ちる。

 

う~ん、気の休まらない喫茶店だったなあ…。

 

愚短想 番外編 ラムチー@名古屋 栄駅

栄駅の地下街、改札のすぐ近くに

古くからやっていそうな喫茶店があった。

抽選待ちのあいだに入ってみる。

 

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お店とともに客も店員も古くなりましたよ、

という雰囲気が良い。

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若干の紫煙は許容できる。

 

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折角の名古屋。

小倉トーストとアイスコーヒー。

トーストは食べやすいように

スティック並みの細さだった。

これや、これやがな…。

 

まだ昼には早い、ブランチを満喫した。

 

山口由子「Believe」


山口由子 / Believe

大須観音界隈を散歩したのは

今は廃盤のCDを探すためでもあった。

何軒かまわったが、結局見つからなかった。

 

様々な提灯のかかる商店街のアーケードを

歩く中で、気になる歌が流れていた。

とりあえず、動画を使って、録音した。

 

その後、いろいろと検索したが、ヒットせず、

I believe 消えかけた」と歌詞検索したら、見つかった

 

90年代のJポップだろうと思ったら、その通りで、

1999年くらいに発売されたようだ。

山口由子は元々アイドルだったらしく(知らなかった)、

やや甘ったるい歌い口がそうだな、と…。

そしてあまり必要性の感じない英語の歌詞も

当時を偲ぶには絶妙だった。

 

ここ最近、ヘビロテになっている…。