花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(23) 銀座・有楽町の再開発

有楽町駅から、マリオンに向かう地域の再開発が進み、大きなビルに丸井が入る。
丸井がなぜ銀座に?という思いがある。自分達の世代にしてみれば、丸井は若干田舎くさい。
丸井の持つその「におい」が、銀座という街に合わないような気がしてならない。
ましてやでっかいビルを建てて、というのは、北千住ならいざしらず、銀座でやるなんて、
とんだ田舎者の発想だ。人間の発想は、どんなに綺麗なビルや、ハイソな環境に勤めようとも、
ある種の「躾」がない限り、その臭さが身に滲みてしまう。
これは何も、都会と田舎という二分法での区別・差別ではなく、人の行き交う空間を、
どこもかしこも小奇麗にしようという貧相な且つ貧困な発想が許せない。

銀座界隈は、なにも高級な店ばかりではなかった。有楽町からマリオンに向かう地域は、
それこそ大衆的な店が密集していた。立ち食いそば(焼きそばもあった)もあれば、
安酒を出す店も多かった。有楽町ガード下が、その雰囲気がブランドになっているため、
値段が「お高め」なのに比べ、有楽町から、東京駅に向かう線路のガード下は、値段も手ごろで、
「オヤジの秘境」でもあった。
茶店では、決して流行っているとは思えなかった「ももや」も
今となっては思い出の1コマとなってしまった。
都市のもつ包容力は、それぞれの階層に優しい空間が存在し、
あるものは上り、またあるものは下ってゆくという人間社会のダイナミズムがある。
銀座は「見栄」のはる空間であるし、「庶民」が憩う空間でもある。
全てが全国的に共通で同品質・画一的な、無機質で表情の乏しい「郊外の新興都市」ではない。

もしかしたら、私たちが小学生のころにも、日劇朝日新聞社の跡地から有楽町マリオン
できた時も、その当時の大人は同じ思いをしたかもしれない。
現に、マリオンも商業的には(西武も阪急も)苦戦の連続だった。
きっと丸井も同じ運命をたどりそうな気がする。

都市のsophisticated(洗練)って何なのだろう。