日本国憲法百景 (14)
ひまわり(向日葵)考
夏もそろそろ終わりを迎え、風物の数々は記憶の残像に落ちてゆく。
今年も実物を見たわけではないが、放射状に開く黄色い花弁は夏を想起させる。
溌剌とした様子を、特に中高年の世代は「ひまわり娘」という。
昔、そんな唄が流行ったのかと思うが、ずーっと太陽を追いかける様子は、
実はミーハーな印象も拭えない。
また、良い所を見て足元をみないというネガティブなイメージもなくはない。
それでも、見方を変えると、限りある命を精一杯使うため、太陽を追いかけ、
花も葉も、まるで両手を広げ身体を反らすように、太陽の恵みを受けている。
種子は、まるで涙のように顔から零れ落ち、次の命へ繋いでゆく。
去年見たひまわりとは違うが、今年も、来年も「ひまわり」として
命を開いてゆくだろう。
鴨長明の「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」ではないが、
生命も川のように流れ、しかし(生物学的)種そのものはつながってゆく。
もし、その種が絶えるとするならば、その種が絶やされるか、
もしくはその種自ら生きることを放棄することだろう。
地球の歴史において、後者については、人間くらいしかできないことだろう。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
夏もそろそろ終わりを迎え、風物の数々は記憶の残像に落ちてゆく。
今年も実物を見たわけではないが、放射状に開く黄色い花弁は夏を想起させる。
溌剌とした様子を、特に中高年の世代は「ひまわり娘」という。
昔、そんな唄が流行ったのかと思うが、ずーっと太陽を追いかける様子は、
実はミーハーな印象も拭えない。
また、良い所を見て足元をみないというネガティブなイメージもなくはない。
それでも、見方を変えると、限りある命を精一杯使うため、太陽を追いかけ、
花も葉も、まるで両手を広げ身体を反らすように、太陽の恵みを受けている。
種子は、まるで涙のように顔から零れ落ち、次の命へ繋いでゆく。
去年見たひまわりとは違うが、今年も、来年も「ひまわり」として
命を開いてゆくだろう。
鴨長明の「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」ではないが、
生命も川のように流れ、しかし(生物学的)種そのものはつながってゆく。
もし、その種が絶えるとするならば、その種が絶やされるか、
もしくはその種自ら生きることを放棄することだろう。
地球の歴史において、後者については、人間くらいしかできないことだろう。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。