花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (15)

これはプラス・マイナスどっち?
言葉は常に変化して行く。
それはまぎれもない、世の常なのだが、変化と「言葉の乱れ」はちょっと違う。
少し前は「こだわり」が悪い表現だったものが、今ではすっかり逆転している。

最近「ヤバイ」がプラス表現になっている。
「美味しい」を表現する言葉から発しているようだが、
(きっと「美味しくてヤバイことになっている」が短縮されたのだと思う)
まだ、その言葉に味覚の想像がついてゆかない。
「鬼」も「とても」という意味になっている。
これも「鬼コーチ」という、形容詞として使われたものが、
いつの間にか副詞的な用法に変化している。
だから、「鬼ヤバイ」と言われても、「鬼が来たら」たしかに「ヤバイ」が、
そういうことではなく、「とっても危ないこと」なのかと思えば、
実は「とっても良い事」なのかもしれない。
さらに語尾が、「ヤバクね?」などという付加疑問になるといよいよ分からない。
この語尾は、疑問なのか同意を求めているのか、その時のシチュエーションでも微妙だ。
「鬼ヤバクね?」は、「とっても良い事なの?」なのか「とっても良い事だよね」なのか、
そこは、もう未知の世界になる。
もっとも、こういった会話はきっと限定された世代の中での信号であって、
年代を超えた会話は、まだそれなりに機能はしている。
一方で、その交信を拒んだとき、互いの理解は絶望的になる。
世代間でその存在を認め合うことは大事かと思うが、「認め合う」ことさえ、
「リスペクトする」という言葉で言われると薄っぺらく感じてしまう。
言葉は短くなると、人間的に退化していくような気がする。

十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。