花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(69) 西新井大師、一区切り

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遅ればせながら、西新井大師に初詣。
西新井は、4歳から20歳までいた。
いまでも、正月は、西新井大師、というのは変わらない。
ただ、現住所に引っ越してからの方が長くなっているので、
そろそろ一区切りつけてみよう、と思った。

まず、西新井駅のホームでしなければならないこと。
西新井ラーメンを食べる。
400円になっていた。おばさんが、慣れた手つきで、
平らな網で、茹でた麺を切っていた。こうでなければ。普通の味だが、これがいい。
しかし、このラーメンを食べ始めたのは、引っ越してからで、
当時は、あまり食べなかった。おカネがなかったから。

そこから、大師線。西新井と大師前を結ぶ、単線の電車。
あっというまに着く。高架になり、駅舎も新しくなっている。
西新井大師には、特に変化はない。もう、22日なので、人手は少なめ。
初めて見たのは、中国のお焼きみたいなものが売っていた。
シャーベー(正宗)というらしい。300円。餃子風味。
そこから、高校生の時、アルバイトをしていた門前の割烹へ行き、
草団子を買う。そこの女将さんも変わらないが、
自分がアルバイトをしていたことを告げたら、覚えていなかった。
無理もない、20年以上前だから。

そこから、小学校・中学校・高校の時に住んでいた場所を訪れる。
こう考えると、3回も場所が変わったのだなあ、とつくづく思う。
小学校の頃のアパートは、もう形もなく、駐車場に(それは以前から知っていた)、
それ以外は、今も残っていた。その周りの景色はやはり大きく変わっていた。
そういえば、よく立ち読みをして怒られた本屋は2件ともなくなっていた。
その一つでは、「立ち読みばっかしやがって!」と怒鳴られたことがある。
「そりゃあ、そうだろう、カネ持ってないんだから」と心で笑いつつも、
本を買うときは、わざわざ遠出して、この店以外で買っていた。

そこから、小学校の幼なじみの家の肉屋を見に行く。
いわゆる、個人商店が軒を連ねる昔ながらのマーケットだったが、
今では、その肉屋しかやっていなかった。
しばらく消息を知らなかったので、店にいたお父さんに聞いてみた。
てっきり家業を継いだのかと思ったら、証券会社に勤めていて、
去年まで大阪、いまは越谷にいる、とのこと。
お父さんの話し振りに、当時の愛嬌のある幼なじみのイメージが重なった。
コロッケを1つ買う。冷めていても、手作りは美味い。

そこから、3月に開業する日暮里・舎人ライナーの場所まで行く。
江北駅というのが出来ていた。
駅前には大型ショッピングモールができるようだ。

記憶は、そのままでいて欲しい、というある種わがままな願いを持ちつつも、
現実は、どんどん変わってゆく。人が取り得る方法は2つ。
一つは、変わり行くその姿を力なく追認してゆくか、
もう一つは、記憶は記憶のままでとどめ、「懐かしさ」という心地よい空間を彷徨し続けることである。

もはや、自分がいたことを、たどる余地は殆どなくなっている。
だからこそ、離れ続けることで、「懐かしさ」を大事にしていきたい。
そう、だから西新井大師には、一区切り。