牡牛座レーニンの肖像
渋谷のユーロスペースにて。
この前の「ファーストフード・ネーション」でも思ったのだが、
スタッフの人、風邪ひいてんだかどうだか、結構、声を出すのが辛そうで、
それで館内放送をするものだから、失笑が漏れていた。
今日は、1日の感謝デーで、1,000円で観られることもあり、割と盛況。
ただ、40分前にチケット購入して、まだ整理番号は早かった。
客層のいわゆる「それなり」の人たちだった。
プログラムはなぜか1,200円もした。
映画は、廃人同様になった、レーニンのある一日を追った映画。
指導者としての威信は地に堕ち、病人としての看護され、時にはあしらわれる様が
痛ましく描写されている。
また、靄のかかったような映像や、迫り来る死と狂気に時として怯える姿は、
かつて「革命の父」といわれ、カリスマ性のあった姿と対極をなす。
静養先にスターリンが来て、ステッキを贈り、
レーニンが、彼に「毒を盛ってほしい」と依頼するという場面がある。
史実に基づくかどうかわからないが、晩年には、そんな言葉を発していたようである。
そして、当時のソ連を象徴するかのような「覗き見」が随所にあり、
一人ひとりが何かに怯え、牽制している「相互の猜疑心」の満ちた雰囲気もある。
映画や芸術表現の中で、レーニンとスターリンは人気が違う。
レーニンがヒーロー視され、スターリンはヒール役、という感じ。
勿論、歴史を遡れば、スターリンに対する文化表現は、未だ「圧制の象徴」でしかない。
レーニンはなぜか、その個性が、突出する。
博学であることは、よく知られている。
大学時代、「国家と革命」や「帝国主義」を読んだ記憶があるが、
(内容は殆ど覚えていないが…)、読んだ内容よりも、
「哲学ノート」(岩波文庫・大月文庫)の、論評の仕方に強い個性を感じたことがある。
(ちなみに大月文庫の方が言葉がキツイ)
引用部分に、「ばか!」や「素晴らしい!」といった
直截的なメッセージが書き込まれていた。
勿論、当時は全て書写をした、ということだろう。
昔の人の勉強意欲というのは、半端なものじゃないなあ、とつくづく感じた。
決して、何かの結末がある、という訳ではない。
「ある一日」という設定の中に観る者は、ソ連の歴史の一コマを感じ、
また、その後の進展をなぞらえる、という「歴史の連続性」を持っていないと
ややこの映画の意味が分からなくなる。
そういう意味では、極めて「ロシア的」というか「ソ連的」だ。
この前の「ファーストフード・ネーション」でも思ったのだが、
スタッフの人、風邪ひいてんだかどうだか、結構、声を出すのが辛そうで、
それで館内放送をするものだから、失笑が漏れていた。
今日は、1日の感謝デーで、1,000円で観られることもあり、割と盛況。
ただ、40分前にチケット購入して、まだ整理番号は早かった。
客層のいわゆる「それなり」の人たちだった。
プログラムはなぜか1,200円もした。
映画は、廃人同様になった、レーニンのある一日を追った映画。
指導者としての威信は地に堕ち、病人としての看護され、時にはあしらわれる様が
痛ましく描写されている。
また、靄のかかったような映像や、迫り来る死と狂気に時として怯える姿は、
かつて「革命の父」といわれ、カリスマ性のあった姿と対極をなす。
静養先にスターリンが来て、ステッキを贈り、
レーニンが、彼に「毒を盛ってほしい」と依頼するという場面がある。
史実に基づくかどうかわからないが、晩年には、そんな言葉を発していたようである。
そして、当時のソ連を象徴するかのような「覗き見」が随所にあり、
一人ひとりが何かに怯え、牽制している「相互の猜疑心」の満ちた雰囲気もある。
映画や芸術表現の中で、レーニンとスターリンは人気が違う。
レーニンがヒーロー視され、スターリンはヒール役、という感じ。
勿論、歴史を遡れば、スターリンに対する文化表現は、未だ「圧制の象徴」でしかない。
レーニンはなぜか、その個性が、突出する。
博学であることは、よく知られている。
大学時代、「国家と革命」や「帝国主義」を読んだ記憶があるが、
(内容は殆ど覚えていないが…)、読んだ内容よりも、
「哲学ノート」(岩波文庫・大月文庫)の、論評の仕方に強い個性を感じたことがある。
(ちなみに大月文庫の方が言葉がキツイ)
引用部分に、「ばか!」や「素晴らしい!」といった
直截的なメッセージが書き込まれていた。
勿論、当時は全て書写をした、ということだろう。
昔の人の勉強意欲というのは、半端なものじゃないなあ、とつくづく感じた。
決して、何かの結末がある、という訳ではない。
「ある一日」という設定の中に観る者は、ソ連の歴史の一コマを感じ、
また、その後の進展をなぞらえる、という「歴史の連続性」を持っていないと
ややこの映画の意味が分からなくなる。
そういう意味では、極めて「ロシア的」というか「ソ連的」だ。