花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (44)

人間の「価値」に関する簡明な考察

人の「価値」ってなんだろう。
地位・年収・学歴・偏差値・資格・体力など様々な「尺度」がある。
勿論「価値」という概念そのものを否定する考えもあるかもしれないが、
しかし、人間「社会」というものはとかく「価値」を測り、序列付ける。

かつて学んだ「価値」というものは、機能性を意味する「使用価値」とは別に
人間が他の生物と違い、唯一労働によって生み出せるものだ。
その価値をもとにして、貨幣経済の土台が生まれた。
(だったかな…もう20年近くも前なら忘れてしまう)

人間は、生来平等なのか不平等なのかでも発想は変わる。
人間が生まれつき平等ならば、
全ての人が同じ「価値」を持って生まれてくる。
では、人間が生まれつき不平等ならば、
全ての人が同じ「価値」を持って生まれないのか。
それも、つきつめれば生まれつきの平等・不平等もあまり意味をなさない。

つまり、絶対的な「価値」があるとするならば、
生まれてから、どんどんその価値を下げて行くのが
「人生」ではあるまいか。
生まれたそのままの状態――将来の可能性を考えれば、
実はそれがもっとも「価値の高い」存在であって、
人は「何がしか」の人間に成ることによって
「無価値の烙印」を押されているのではないだろうか。

生まれながらに、社会で生きる術を持たない存在を
「神」のように崇める風習がある社会は意外と多い。
それは、人間の持つ「価値」について、
感覚として理解しているのではないだろうか。

勿論、人間は「何がしか」になる。
それは、「キャリア・アップ」という
陳腐なことばではなく、どんな職業においても、
常に「価値ある」将来との不等価交換であることを
肝に銘じよう。

第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。