花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (64)

皿は回る、されど…。

週末、父親の誕生日を祝った。
外食をしよう、ということで、ふぐか寿司かを選ぼうということになり、
3歳の孫娘―自分にとっての姪っ子―のたっての願いで、寿司を食べに行く。

駅には近いが、郊外型のチェーン店で、座席もけっこうある。
なによりも、ベルトコンベアで回る寿司は、子ども達の格好の遊び場になる。
どのテーブルも、こどもがひざを立て、乗り出すように回る皿に手を伸ばす。

ところが、である。皿をとり、醤油をたらし、おもむろに口に運んだ瞬間、
違和感を覚える。

わさびが利いていない。

モニターを見ると「すべてわさびぬきで提供しています」の文字。

主客逆転。もはやこの店の主役は、子どもになっている。
寿司屋は、オトナの行くところ、という思いがあったが、
たしかにファミリーレストラン然、としている。

こどもがわさびを口にしたら、当人の責任でも、親は烈火のごとく怒るだろう。
子どもに道徳を教えるよりも、目前のストレスを発散させようとするだろう。
手に職のない、アルバイトだらけのお店にとっては、責任を取りたくないから、
出そうな文句は未然に防ごうとするだろう。
また、子どもが喜べばいいのだから、ということで、
本来あるべきネタの良し悪しよりも、ハンバーグ寿司や、
ケーキ・フルーツなど「子どもだまし」を流し続けるだろう。

かくして、寿司レストランという「箱」は完成しているが、
「さびぬき・ネタなし」の空っぽの箱になってしまっている。
誰しも決して味を楽しめず、「おいしい」という満足を得られないまま、
徒(いたずら)に膨れた胃袋を抱えたまま、店を後にするのだろう。

おいしくなければ、つまらない。

その日、福田改造内閣発足。
「さびぬき、ネタなし」
一足先に、中身を味わった錯覚に陥る。


第五章 内閣
第六十五条 行政権は、内閣に属する。

※順序は少し飛んだ。