愚短想(123) 年賀状という窓
今年も年賀状を書く時期に入った。
宛名も内容も全て手書きにしているので、時間はかかる。
いつもながらに思うのだが、宛名も内容も印刷だけ、というのは味気ない。
ただおカネを右から左へ流しているような感じがする。
それでも一言メッセージがあると温かみが感じる。
手書きにこだわりたいのは、年に1度の挨拶しかない人にも、すこしでも多く
ことばを伝えたい、という思いがある。
せっかく相手に伝わるものだから、その窓からすこしでも多く手を振っていたい。
だから、多くは送らない。
一時期は100通に近くなったこともあったが、
最近は、50通もあれば余りそうな感じがする。
ほぼ一気に書き上げるので、乱筆気味になるが、
それも師走の隠し味、と思ってもらえたらなあ、と勝手に思っている。
最近では、メールで年賀状の代わりにするケースも増えている。
そのせいか年賀状の販売もここ数年芳しくないようである。
ちょっと前までは、正規の金額に数円上乗せした年賀状もあった。
年始の挨拶という事情につけ込んだあこぎなやり方と思った。
じつはもっと遡ると、年賀状は一般郵便よりも安く設定されていた。
今こそ、その方法に戻るべきではないかなあ、
と売れないことに嘆く郵便局をみて、そう思う。
年賀状も「お年玉くじ」があるので、普通ハガキや違うもので出すと
やや罪悪感がある。そこもあこぎよのう、と思うことがある。
ところで、あの「お年玉」の当選があったら、どうするか。
かつて2等の「地域の特産品5品分」というのが当たったことがあったが、
送り主に、言う勇気はなかった。
さあ、万年筆にインクを充填して書き始めるか…。
宛名も内容も全て手書きにしているので、時間はかかる。
いつもながらに思うのだが、宛名も内容も印刷だけ、というのは味気ない。
ただおカネを右から左へ流しているような感じがする。
それでも一言メッセージがあると温かみが感じる。
手書きにこだわりたいのは、年に1度の挨拶しかない人にも、すこしでも多く
ことばを伝えたい、という思いがある。
せっかく相手に伝わるものだから、その窓からすこしでも多く手を振っていたい。
だから、多くは送らない。
一時期は100通に近くなったこともあったが、
最近は、50通もあれば余りそうな感じがする。
ほぼ一気に書き上げるので、乱筆気味になるが、
それも師走の隠し味、と思ってもらえたらなあ、と勝手に思っている。
最近では、メールで年賀状の代わりにするケースも増えている。
そのせいか年賀状の販売もここ数年芳しくないようである。
ちょっと前までは、正規の金額に数円上乗せした年賀状もあった。
年始の挨拶という事情につけ込んだあこぎなやり方と思った。
じつはもっと遡ると、年賀状は一般郵便よりも安く設定されていた。
今こそ、その方法に戻るべきではないかなあ、
と売れないことに嘆く郵便局をみて、そう思う。
年賀状も「お年玉くじ」があるので、普通ハガキや違うもので出すと
やや罪悪感がある。そこもあこぎよのう、と思うことがある。
ところで、あの「お年玉」の当選があったら、どうするか。
かつて2等の「地域の特産品5品分」というのが当たったことがあったが、
送り主に、言う勇気はなかった。
さあ、万年筆にインクを充填して書き始めるか…。