日本国憲法百景 (96)
自由の女神のてっぺんにて
かつて1998年ごろ、ニューヨークを旅した時のこと。
自由の女神を見に船に乗った。
観光船は、長蛇の列になったが、そこは観光名所の土地柄、
その退屈に相手をしてくれる大道芸人?がいる。
観光船は、別の目的地に行くものもあり、間違えたら、
その芸人さんが、「そっちじゃないよ!」と注意を促してくれる。
ただ、自分もいえないが、英語が分からない人が
そのまま並んでしまうこともあるようだ。
最初は自由の女神を外から眺めるだけだと思ったら、中に入れた。
あの月桂樹か王冠のところまで階段が続く。
最後はらせん状でものすごく狭いが、それでも一番上では記念撮影をする人が多かった。
いわば、自由のてっぺんでもある。
自由を見つめる人物?の視線はどんなだろう、そう思いながら
狭い小窓から外を見渡す。まあ、河というか海が見えるだけだった。
しかし、かつては移民船の多くを出迎えただろうし、
その3年後には、あの飛行機を見上げていただろう。
その目からは涙はでないが、視線はきっと熱いものだろう。
第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる
自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に
堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利
として信託されたものである。
※この章は「頂上」と読み替える。
かつて1998年ごろ、ニューヨークを旅した時のこと。
自由の女神を見に船に乗った。
観光船は、長蛇の列になったが、そこは観光名所の土地柄、
その退屈に相手をしてくれる大道芸人?がいる。
観光船は、別の目的地に行くものもあり、間違えたら、
その芸人さんが、「そっちじゃないよ!」と注意を促してくれる。
ただ、自分もいえないが、英語が分からない人が
そのまま並んでしまうこともあるようだ。
最初は自由の女神を外から眺めるだけだと思ったら、中に入れた。
あの月桂樹か王冠のところまで階段が続く。
最後はらせん状でものすごく狭いが、それでも一番上では記念撮影をする人が多かった。
いわば、自由のてっぺんでもある。
自由を見つめる人物?の視線はどんなだろう、そう思いながら
狭い小窓から外を見渡す。まあ、河というか海が見えるだけだった。
しかし、かつては移民船の多くを出迎えただろうし、
その3年後には、あの飛行機を見上げていただろう。
その目からは涙はでないが、視線はきっと熱いものだろう。
第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる
自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に
堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利
として信託されたものである。
※この章は「頂上」と読み替える。