グラン・トリノ
丸の内ピカデリーにて。
クリント・イーストウッド監督・主演の映画。
ここ最近、監督作品としてのキャリアが評価されている。
この映画を観るかぎり、決して派手な抑揚をつけずに
“描ききる”ということに力を注いでいるようであった。
ウェスタンものや、「ダーティー・ハリー」で有名ではあるが、
彼はその映画があるごとに、常に自分のセリフをなるべく削ろうとしている。
そして、「決めゼリフ」とも「捨てゼリフ」とも受け取れるような言葉で、
いや、言葉ではなく「空気(雰囲気)」で演じているような気がする。
その意味では、今回の映画は彼の色がはっきりと出ている。
それは極めて簡略化してあり、「舞台的」である。
むしろ、これは舞台としての作品としての方向性を
考えていたのではないだろうか、と思ったほどだ。
ストーリーは、朝鮮戦争を戦い、アメリカの繁栄をフォードの組立工として生きた。
彼の唯一の宝は、フォード製のスポーツカー「グラン・トリノ」。
その車をきっかけに、繁栄から遠ざかったアメリカの他民族社会の斜影が射し込まれる。
時事的ではあるものの、アメリカ的でもあるこの映画は、
彼のお得意であるガンアクションからは一線を引き、
なおかつ彼が初めて銃弾を受けることを演じる。
このシーンをして「集大成」と感じる人も多いようだ。
観た後、ヘンリー・フォンダの「黄昏」を思い出した。
人生の終焉を迎える男の、無言で大きな「愛情」を表現すること。
それが、近年、アメリカが失って久しい「家族像」でもあるような気がした。
映画のクライマックスには、後方で嗚咽する人がいたようだ。
長く観ているからこそ、クリント・イーストウッドに対する
「愛情」は様々なんだなあ、と思った。
良い映画だった。
クリント・イーストウッド監督・主演の映画。
ここ最近、監督作品としてのキャリアが評価されている。
この映画を観るかぎり、決して派手な抑揚をつけずに
“描ききる”ということに力を注いでいるようであった。
ウェスタンものや、「ダーティー・ハリー」で有名ではあるが、
彼はその映画があるごとに、常に自分のセリフをなるべく削ろうとしている。
そして、「決めゼリフ」とも「捨てゼリフ」とも受け取れるような言葉で、
いや、言葉ではなく「空気(雰囲気)」で演じているような気がする。
その意味では、今回の映画は彼の色がはっきりと出ている。
それは極めて簡略化してあり、「舞台的」である。
むしろ、これは舞台としての作品としての方向性を
考えていたのではないだろうか、と思ったほどだ。
ストーリーは、朝鮮戦争を戦い、アメリカの繁栄をフォードの組立工として生きた。
彼の唯一の宝は、フォード製のスポーツカー「グラン・トリノ」。
その車をきっかけに、繁栄から遠ざかったアメリカの他民族社会の斜影が射し込まれる。
時事的ではあるものの、アメリカ的でもあるこの映画は、
彼のお得意であるガンアクションからは一線を引き、
なおかつ彼が初めて銃弾を受けることを演じる。
このシーンをして「集大成」と感じる人も多いようだ。
観た後、ヘンリー・フォンダの「黄昏」を思い出した。
人生の終焉を迎える男の、無言で大きな「愛情」を表現すること。
それが、近年、アメリカが失って久しい「家族像」でもあるような気がした。
映画のクライマックスには、後方で嗚咽する人がいたようだ。
長く観ているからこそ、クリント・イーストウッドに対する
「愛情」は様々なんだなあ、と思った。
良い映画だった。