愚短想(177) 一六タルトとペアルック
職場で一六タルトを貰った。
それが愛媛の特産であることは、14年くらい前に知った。
大学を卒業して、仕事をしながら運転免許と、遅まきながらマイカーを購入。
中古で30万円。前のドアは、一度カギを壊されたのか、車のキーが2つ付いていた。
トヨタコロナの5年落ちくらいのセダンだったが、
近所のガソリンスタンドの若い2代目が、
「このクルマは良いんですよねえ、父も乗ってます」
と言ってくれた。確かに乗りやすいクルマだった。
当時、外回りも多く、車の運転も多かったが、
休日となると、殆ど寝ていた。ので、マイカーは専ら父親が乗っていた。
自分が乗るときは、せいぜい近くのお台場くらいで、
海をぼんやり見ているくらいだった。
これじゃいかん、と思い、旅行を思い立つ。
但し、遠距離運転はしんどいと思ったので、カーフェリーを使う。
幸い、お台場のそばにフェリーターミナルがあったので、それを使う。
値段はさほど高くなかったと思う。
東京から徳島まで行き、そこから車で四国をまわる。
大歩危・小歩危をドライブし、そこでおいしい水で作られたコーヒーを飲んで、
高知へ行く。はりまや橋にがっかりした思い出がある。
そこから海岸べりを走り、鯛めしを食いつつ、愛媛に着く。
しばし、四国カルストまで足を伸ばし、風景を楽しんだ。
しかし、山道を運転するのは初めてに近かったので、エンジンブレーキを使わなかった。
ひとしきり山を楽しんで、下っている途中、突然、ブレーキが利かなくなった。
ええー!!!と思い。ガンガン踏みしめたら、アクセルを外しただけ、減速され、
なんとかカーブを曲がりきれた。
一旦、止めて外に出たら、前輪がかなり熱っぽい。
通りがかりのクルマに手を振っても、誰も止まらない。
田舎の人が親切なのはテレビだけなのでは?と思った。
そこからのろのろと運転し、ブレーキペダルをスコスコさせながら、
なんとかガソリンスタンドまでたどりついた。
そこでは、前輪に水を掛けてくれた。
まあ、なんとか回復したので、念のため自動車工場まで行くこととした。
いつなんどき利かなくなったらどうしよう、とヒヤヒヤしながら、
宿の近くの工場へ行く。
経緯を説明したら、「ああ、それはペアルックだよ」とのこと。
一瞬、何のことか分からなかったが、かつて教習所で習ったことを思い出した。
そう、ペパーロック現象。ブレーキオイルが高温化し、
気泡が生じてブレーキが利かなくなる現象(だったと思う)。
まあ、なんとかひと安心。夜の松山にくりだす。
松山は、東京から飛行機で一時間くらいの場所なので、
関西圏の文化よりも、東京の影響も強いと思った。
ラフォーレ原宿もあったし…。
夜の松山、といっても、もう殆どその時の記憶はないのだが、
一軒入ったところでは、生ギターのステージがあって、
客がカラオケのように唄っていた。
なんとなく左遷を匂わせるようなサラリーマンが、帰りの飛行機を気にしながら、
チェッカーズの「星屑のステージ」を唄っていたのが、妙に鮮明に残っている。
翌日には、高速を使って高知へ戻る。(香川・高松に行かなかったのは残念)
四国の高速は、一車線が多く、部分的に追い越し車線がある。
まあ、それでも交通量が少ないから結構なスピードを出せた。
松山から出た時は、結構な雨だったが、
トンネルを抜け、高知に入ると晴れていた。逆・川端康成。
再びの高知では、桂浜へ行き、ぶらぶらして、帰りのフェリーを待った。
名物らしい、アイスクリンを食べた。駄菓子屋の味だった。
帰りはサンフラワー号。昼間の天気がすこぶる良く、甲羅干しをしたら、やけどした。
肌は赤くなり、「因幡の白兎」になる。
なので、ほのかなゆずの味がするあのアンコを食べると、ヒヤヒヤ・ヒリヒリを思い出す。
それが愛媛の特産であることは、14年くらい前に知った。
大学を卒業して、仕事をしながら運転免許と、遅まきながらマイカーを購入。
中古で30万円。前のドアは、一度カギを壊されたのか、車のキーが2つ付いていた。
トヨタコロナの5年落ちくらいのセダンだったが、
近所のガソリンスタンドの若い2代目が、
「このクルマは良いんですよねえ、父も乗ってます」
と言ってくれた。確かに乗りやすいクルマだった。
当時、外回りも多く、車の運転も多かったが、
休日となると、殆ど寝ていた。ので、マイカーは専ら父親が乗っていた。
自分が乗るときは、せいぜい近くのお台場くらいで、
海をぼんやり見ているくらいだった。
これじゃいかん、と思い、旅行を思い立つ。
但し、遠距離運転はしんどいと思ったので、カーフェリーを使う。
幸い、お台場のそばにフェリーターミナルがあったので、それを使う。
値段はさほど高くなかったと思う。
東京から徳島まで行き、そこから車で四国をまわる。
大歩危・小歩危をドライブし、そこでおいしい水で作られたコーヒーを飲んで、
高知へ行く。はりまや橋にがっかりした思い出がある。
そこから海岸べりを走り、鯛めしを食いつつ、愛媛に着く。
しばし、四国カルストまで足を伸ばし、風景を楽しんだ。
しかし、山道を運転するのは初めてに近かったので、エンジンブレーキを使わなかった。
ひとしきり山を楽しんで、下っている途中、突然、ブレーキが利かなくなった。
ええー!!!と思い。ガンガン踏みしめたら、アクセルを外しただけ、減速され、
なんとかカーブを曲がりきれた。
一旦、止めて外に出たら、前輪がかなり熱っぽい。
通りがかりのクルマに手を振っても、誰も止まらない。
田舎の人が親切なのはテレビだけなのでは?と思った。
そこからのろのろと運転し、ブレーキペダルをスコスコさせながら、
なんとかガソリンスタンドまでたどりついた。
そこでは、前輪に水を掛けてくれた。
まあ、なんとか回復したので、念のため自動車工場まで行くこととした。
いつなんどき利かなくなったらどうしよう、とヒヤヒヤしながら、
宿の近くの工場へ行く。
経緯を説明したら、「ああ、それはペアルックだよ」とのこと。
一瞬、何のことか分からなかったが、かつて教習所で習ったことを思い出した。
そう、ペパーロック現象。ブレーキオイルが高温化し、
気泡が生じてブレーキが利かなくなる現象(だったと思う)。
まあ、なんとかひと安心。夜の松山にくりだす。
松山は、東京から飛行機で一時間くらいの場所なので、
関西圏の文化よりも、東京の影響も強いと思った。
ラフォーレ原宿もあったし…。
夜の松山、といっても、もう殆どその時の記憶はないのだが、
一軒入ったところでは、生ギターのステージがあって、
客がカラオケのように唄っていた。
なんとなく左遷を匂わせるようなサラリーマンが、帰りの飛行機を気にしながら、
チェッカーズの「星屑のステージ」を唄っていたのが、妙に鮮明に残っている。
翌日には、高速を使って高知へ戻る。(香川・高松に行かなかったのは残念)
四国の高速は、一車線が多く、部分的に追い越し車線がある。
まあ、それでも交通量が少ないから結構なスピードを出せた。
松山から出た時は、結構な雨だったが、
トンネルを抜け、高知に入ると晴れていた。逆・川端康成。
再びの高知では、桂浜へ行き、ぶらぶらして、帰りのフェリーを待った。
名物らしい、アイスクリンを食べた。駄菓子屋の味だった。
帰りはサンフラワー号。昼間の天気がすこぶる良く、甲羅干しをしたら、やけどした。
肌は赤くなり、「因幡の白兎」になる。
なので、ほのかなゆずの味がするあのアンコを食べると、ヒヤヒヤ・ヒリヒリを思い出す。