花鳥風月記

流れる水に文字を書く

しかし それだけだはない。 加藤周一 幽霊と語る

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渋谷のシネマ・アンジェリカにて。

戦後の代表的な知識人である、加藤周一の軌跡と
最後のメッセージを含めたドキュメンタリー。

加藤周一については、まともに読んだのは、
朝日新聞夕刊コラムの「夕陽妄語」と
『日本文化における時間と空間』で知る程度しかなかった。

その声も初めて聞くこととなった。
右耳に補聴器をつけ、ややゆっくりと語るその口ぶりは、
話の内容とは別の優しさがあった。

「幽霊と語る」というサブタイトルは、時代のある点で命を落とし、
おそらくその幽霊は、その時のまま、けっして考えを変えない人々との
今を生きる加藤周一との、尽きることのない会話を意味する。
そして、晩年で最も彼が気にかけていたのが「憲法九条」だった。

特に大学生向けの講演では、優しい語り口が印象的だった。
その中では、大学生と老人が手を組めば、世の中が変わる、と。
大学生という4年間、または老人の残された(だろう時間)という
限られた時間で、競争社会に属さずモノを言えるパワーを結集させる、というもの。

社会人(このおおよそは会社人)であれば、沈黙を強いられ、
恐らくは、この講演が、憲法改正に動きがあるような時期だからこそ、
決してアジテーションではなく、先達として、「長老」として
穏やかに語りかける。

最後のインタビューは、抗がん剤を服用しながらも、精一杯語る。
アメリカのオバマ新政権の期待と冷徹な分析を
朦朧とした状態のなかでも、必死に言葉をふりしぼる。
全身小説家」ならぬ「全身評論家」という言葉が浮かんだ。

語る一言一言が、漏らさず聴きたい、という衝動に駆られた。
エンディングの音楽に聞き覚えがあって、
エンドロールをみたら、谷川俊太郎作詩・武満徹作曲の
「死んだ男の残したものは」の英語版だった。
加藤周一もまた、評論家として、時代と戦っていたのだろう。

以前、このブログでもふれたが、思い出としてまた歌詞を引用する。

死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と一人の子供
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだ子供の残したものは
ねじれた足とかわいた涙
他には何も残さなかった
思い出一つ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残さなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてる私 生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない