花鳥風月記

流れる水に文字を書く

筆致俳句 (22)

轍はなく 汗も涎も 露と消え


ここ最近の話題。今日からi-padが発売となる。
電子書籍がいよいよ本格的になるのか。
汗牛充棟(運ぶ牛が汗をかくくらい、積み上げると天井につくくらいの本の多さ)」は
たった1台の(いや、薄さでいうと一枚?なのか…)掌の端末で事足りる時代になるのか。

口蹄疫による、牛の殺処分が止まらない。
宮崎牛は、松阪牛の種牛になるなどのブランド力をもつが、
ほんのわずかの間で、夥しい数の屍を積む様は
阿鼻叫喚そのもの、といった印象を持つ。心が痛む。

今年の正月に観た映画「牛の鈴音」を思い出す。
モノを運び、人を運んだ老いた牛と、老いた人。
静かな時間のなかで、人生もゆったりと進む。
それは「共生」という世界ではなかったか。

人と牛との関係が変わってきているのだな、と。
それは、どんどんと新しいものが取って代わり、
牛をパートナーではなく、「消費」の対象にしか見なくなっている。
もしかすると、そんな時代に、聖なる何かの警鐘、とも受け取れなくもない。