シャガール―ロシア・アバンギャルドとの出会い
上野の東京藝術大学大学美術館にて。
シャガールの作品だけではなく、同時代に活躍した芸術家の
作品も展示され、シャガールとその一連の芸術運動の関連性にも
焦点をあてている。
ロシア・アバンギャルド(前衛的芸術)は、ロシア革命という政治的な
前衛とも連動し、従来の線・曲線を、大胆に再構築するものであったのだろう。
その流れの底流には、ロシア・プリミティヴィスム(原始的志向)による
描写の単純化・重厚化が初期の作品に見られる。
プリミティヴィスムというとアフリカン・アート的な印象も受けるが、
確かに絵ではなく、ブロンズ像の形容は、それに通じるものがあった。
人間の様々な線を収斂していったら、きっとこんな形になるのだろう、
とアルキペンコ「ドレープまとった女性」を見て思った。
この像を見て思ったのは、関節のふくらみがどことなく
乳幼児のような感じもあった。時間軸もこの像のなかでは、
重奏的なものなのかなあ、と思った。
また、ゴンチャローワ「孔雀」は、四角いキャンバスのなかで、
立体的な孔雀を描ききる、空間を自由に捉える面白さを感じた。
シャガールの絵は、空想の空間を自由に描いていると感じた。
「ロシアとロバとその他のものに」では、あまりの奇抜さに
しばし刮目する。
赤い牛の乳を飲む子どもは、やはり、遊牧民族の伝説を彷彿とさせる。
また、メトロポリタン歌劇場の杮落としで上演された「魔笛」の
舞台衣装のデザインを見て、スタイリストは、さぞかし苦しんだろうなあ、
と思った。それだけ発想が迸(ほとばし)ってエネルギッシュなデザインだった。
最後に飾られた「イカルスの墜落」は、この展示を見終わるときの、
物語の終わりのような、一抹のさみしさを感じた。
シャガールの作品だけではなく、同時代に活躍した芸術家の
作品も展示され、シャガールとその一連の芸術運動の関連性にも
焦点をあてている。
ロシア・アバンギャルド(前衛的芸術)は、ロシア革命という政治的な
前衛とも連動し、従来の線・曲線を、大胆に再構築するものであったのだろう。
その流れの底流には、ロシア・プリミティヴィスム(原始的志向)による
描写の単純化・重厚化が初期の作品に見られる。
プリミティヴィスムというとアフリカン・アート的な印象も受けるが、
確かに絵ではなく、ブロンズ像の形容は、それに通じるものがあった。
人間の様々な線を収斂していったら、きっとこんな形になるのだろう、
とアルキペンコ「ドレープまとった女性」を見て思った。
この像を見て思ったのは、関節のふくらみがどことなく
乳幼児のような感じもあった。時間軸もこの像のなかでは、
重奏的なものなのかなあ、と思った。
また、ゴンチャローワ「孔雀」は、四角いキャンバスのなかで、
立体的な孔雀を描ききる、空間を自由に捉える面白さを感じた。
シャガールの絵は、空想の空間を自由に描いていると感じた。
「ロシアとロバとその他のものに」では、あまりの奇抜さに
しばし刮目する。
赤い牛の乳を飲む子どもは、やはり、遊牧民族の伝説を彷彿とさせる。
また、メトロポリタン歌劇場の杮落としで上演された「魔笛」の
舞台衣装のデザインを見て、スタイリストは、さぞかし苦しんだろうなあ、
と思った。それだけ発想が迸(ほとばし)ってエネルギッシュなデザインだった。
最後に飾られた「イカルスの墜落」は、この展示を見終わるときの、
物語の終わりのような、一抹のさみしさを感じた。