香山リカ 『くらべない幸せ』
テレビでも有名なこの精神科医でもある著者の本は、
何度か読もうとしたことがある。
しかし、読み終えることなく本を閉じてしまった。
今回も、読み終えるまで時間がかかった。
それは、難解というよりも、今ひとつ「腑に落ちない」ことが
山積するからでもある。
ま、「読み物」として軽く流せば良い、と思えばいいのだが…。
この本では、特に女性の価値観―ある種強いられた価値観―が
この四半世紀で大きく変わってきたことに対する考察と、
時代に要請されるかのように「頑張りすぎて」心身を壊してしまった女性を検証し、
「くらべない」ことに価値観を見出す生き方にも言及している。
以前、久米宏の特番でも印象に残ったが、
戦後史という枠組みの中で、女性の歴史は、
つぶさに追い求める必要があるのではないか、と感じた。
家族関係―特に母娘関係の変容は確かに香山が提唱する一面、
それは母の世代が娘の世代に嫉妬するという側面もあろう。
加えて、産業化・高度産業化という流れでの
家族関係、そして市民社会のつながりの変わり方、というのも
今後の社会学や歴史学の分野での発展を待たねばならない気がする。
世相を見る、意味では、筆者の敏感さには称賛すべきだが、
カウンセリングを受ける女性のケーススタディが同世代ということもあり、
ほんとうにそれだけなんかなあ、と何となく釈然としない。
その軸が、朝日新聞「AERA」に拠っていることにも抵抗感があった。
蛇足ながら、「AERA」を読みだしたのは、大学生の頃、
本多勝一「マゼランが来た」を読みたかったから。
当時は、伊藤千尋など、第一線級の記者が、国際情勢を書き、
毎週読むのが楽しみだったが、段々とその面がぼやけ、購読を辞めてしまった。
いつしか「キャリア女性のための雑誌」に変貌し、
「あるあるキャリア女性 大事典」になってしまった感がある。
(ま、読んでないんでどうともいえないが、広告なんかで…)
別冊なんかで「朝日ジャーナル」を復刊してるんだったら、
「AREA」をそうするか、潰して「朝ジャ」を復活させたらいいのに…。
完全に蛇足になってしまった。
何度か読もうとしたことがある。
しかし、読み終えることなく本を閉じてしまった。
今回も、読み終えるまで時間がかかった。
それは、難解というよりも、今ひとつ「腑に落ちない」ことが
山積するからでもある。
ま、「読み物」として軽く流せば良い、と思えばいいのだが…。
この本では、特に女性の価値観―ある種強いられた価値観―が
この四半世紀で大きく変わってきたことに対する考察と、
時代に要請されるかのように「頑張りすぎて」心身を壊してしまった女性を検証し、
「くらべない」ことに価値観を見出す生き方にも言及している。
以前、久米宏の特番でも印象に残ったが、
戦後史という枠組みの中で、女性の歴史は、
つぶさに追い求める必要があるのではないか、と感じた。
家族関係―特に母娘関係の変容は確かに香山が提唱する一面、
それは母の世代が娘の世代に嫉妬するという側面もあろう。
加えて、産業化・高度産業化という流れでの
家族関係、そして市民社会のつながりの変わり方、というのも
今後の社会学や歴史学の分野での発展を待たねばならない気がする。
世相を見る、意味では、筆者の敏感さには称賛すべきだが、
カウンセリングを受ける女性のケーススタディが同世代ということもあり、
ほんとうにそれだけなんかなあ、と何となく釈然としない。
その軸が、朝日新聞「AERA」に拠っていることにも抵抗感があった。
蛇足ながら、「AERA」を読みだしたのは、大学生の頃、
本多勝一「マゼランが来た」を読みたかったから。
当時は、伊藤千尋など、第一線級の記者が、国際情勢を書き、
毎週読むのが楽しみだったが、段々とその面がぼやけ、購読を辞めてしまった。
いつしか「キャリア女性のための雑誌」に変貌し、
「あるあるキャリア女性 大事典」になってしまった感がある。
(ま、読んでないんでどうともいえないが、広告なんかで…)
別冊なんかで「朝日ジャーナル」を復刊してるんだったら、
「AREA」をそうするか、潰して「朝ジャ」を復活させたらいいのに…。
完全に蛇足になってしまった。