花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(253) センター試験考

今年のセンター試験は、問題配布の間違いが相次ぎ、
再試験は、3462人となった。
以前から、リスニング試験のトラブルがつきもので、
「もう、いい加減にしたら」という様々な想いも交差する。

ミスには2種類ある。
1つめは、機械などのミス。これはリスニング機器のトラブル。
動作確認の上、不具合があるものは交換すればいい、ということだが、
トラブルの状況もきっと千差万別だから、完全にはなくならない。

2つめは、人為ミス。今回の問題配布ミスや、リスニング機器の納品数ミスなど。
問題を2冊配らなければならない、という新しいルールが守られない。
守ろうという意識の低さもあるだろうし、
まったく内容も確認せず、という人もいるだろう。

センター試験に果たしてリスニングは要るのだろうか。
リスニング試験を導入して、その能力が高まった、
ということなど、あまり聞かない。
むしろ大学生の「内向き志向」に拍車がかかっている。

リスニング自体、それまでの学ぶ環境に大きく影響するのでは、と思う。
英語を話す環境の多寡によって、優劣がつけば、それこそ不公平だ。
他の外国語にはなく、英語だけ、というのも不公平。
むしろ日本語(能や狂言などの古典)のリスニング試験をやった方が
よほど国際的では、と思う。

センター試験、そのものが要るのだろうか。
大学の序列化が鮮やかに固定化され、
私立大学は、5百円くらいのコストで、1万5千円もらうという
ぼろ儲けをしている。

主催者しか楽しまない「お祭り」はつまらない。