花鳥風月記

流れる水に文字を書く

新年の辞2014

あけましておめでとうございます。

昨年は、新たな「政治の季節」の到来を告げる一年でした。
その季節とは、風速がどんどん増しつつ、
冬の嵐の前触れのようなものでもありました。

背番号96を背負って、呑気にボールを投げていたその先には、

特定秘密保護法の制定
原発の再稼働
南スーダンPKOに展開する韓国軍への一万発の弾薬提供
沖縄の普天間基地代替地としての辺野古の着工準備
靖国神社参拝

確実に右へ右へとボールがそれ、
ついには憲法改正への打ち返しが待っていそうな感じです。

現政権が思う民意と支持とは、
国会前に集う民衆ではなく、
0と1の世界に介在する「いいね!」と株価にあるのではないでしょうか。

そして、それは何がしかの筋書きが施され、
反発が期待されそうな施策をするにつれ、
株価や「いいね!」が迅速に反応する。
新しい世紀の「マッチポンプ」の役割を果たしています。

勿論、苦しみだけを与える、ということではなく、
五輪招致などの国威発揚を仕掛け、ここ近年になかった
「長期政権」というものにも食指が動いていることは間違いありません。

不思議にこの時代においては、
「貧しさの根源」をどこか弱い所に求めている気がしてなりません。
生活保護の厳格化や、自己責任論などは、
弱いものが、本当の「相手」が見えないようになっているがゆえに
さらに弱い存在に対し「ただ乗り」「なまけもの」と、
罵声に近い言葉を浴びせるという、痛ましい現実を招いています。

本当に憂慮すべきことは、実は千代田区のど真ん中にお住まいの方は
きっとご存知なのだと思います。
それを信じている人々も多いかと思います。
しかし、言うべき口は閉ざされ、ほとばしる時流のなかで、
言わずにいるもどかしさもきっとあるかと思います。

そのもどかしさはきっと同時代性が起因しているかと思います。
ここ10年、あるかないかの時間で、「戦後」は消えてしまいます。
いまこそ、「戦争」と「戦後」と言うものを
心に刻み、思いを馳せることが必要ではないでしょうか。

書いたもの・記録に残されたものは、
解釈によって、伝わり方や受け止め方が異なります。
戦争を直接的に体験しない世代が多くを占めた場合、
それこそ、その凄惨な時代を経た貴重な「財産」が
無に帰す恐れがあります。

なればこそ、「記憶」や「ことば」を残す世代と
それを受け継ぐ世代の橋渡しが絶対的に必要になってくるのです。

それは、緩やかでありつつも、排他的なコミュニティではなく、
あたかも世界に発信してしまった「おもてなし」のような
人と人との美しい心根(こころね)が、ほんとうに必要になってきます。

聞きづらい、聞きたくないこと、
話しづらい、話したくないこともあるかと思います。。
しかし、今こそ勇気をもって語り合い、
乾坤一擲の「戦後史」を作り上げるべきではないでしょうか。

未来に悔いを残さないためにも。

本年もよろしくお願いします。