花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(314) 急行八甲田の想いで

今度、青森に行こうと考えている。
東北新幹線が青森まで延伸して、しばらく経つ。
本来ならば、延伸することで、青森に注目が集まるのかと思ったが、
東日本大震災があって、そうはならなかった気がする。

青森は、学生時代、北海道からの行き帰りで
ほぼ通過したにすぎなかったような思い出がある。

石川さゆりの「津軽海峡冬景色」にあるように
上野発の夜行列車降りたときから~を
地で行くような旅をしたことがある。

1990年の2月に上野発21時38分の
夜行列車「八甲田」で青森に向かった。
1990年2月、と覚えているのは、
ネルソン・マンデラが釈放された記憶とつながるからである。

大学の先輩と北海道まで行くこととなった。
列車を乗り継いで、で札幌近郊の定山渓まで
約22時間の道中だった。今ではもう、きっとできない…。
急行ではあったが、深夜にいくつか駅は停まった。

郡山あたりだったろうか、先輩がふといなくなった。
あれ、大丈夫かな、と思ったら、駅そばを2つ持ってきた。
それを啜りつつ、対面座席(ボックスシート)で足を伸ばしながら、
仮眠をとった。

少し明るくなったころ、外は雪があった。
浅虫温泉という場所に停まった。
手塚治虫のような名前だな、という印象があった。
朝4時か5時に青森駅に着く。
雪はちらつく程度だったが、ホームは凍っていた。
そこから乗客は速足や駆け足で青函トンネルを通る
列車に急いだ。確か、先輩は転んだ。(柔道で受け身は得意、とはいっていた)

青函トンネルを抜けたら、そこは雪国だった。
川端康成の小説のようだ。
酪農農家だと思うが、サイロや洋館が見えた。

札幌・小樽を楽しんだ後、函館で電車がなくなった。
駅で始発を待ち、青森は一旦降りたと思う。
そこはあまり記憶がない。

ただ、盛岡で新幹線に乗り換えたとき、
座席を向い合せにして、足を伸ばしていたら、
車掌に注意されて、元に戻した。
先輩とは仙台で分かれて、石巻に寄った。

学生のころ乗った急行八甲田は、
1993年11月30日をもって廃止になったようだ。
その時の発車時間は21時41分だったようだ。

さて、東北新幹線の停車は新青森で、青森駅から離れているようだ。
さて、何を使って行こうか…。