花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景・再び 番外編 2015年憲法記念日社説を読む

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例年のごとく、主要6紙(朝日・毎日・読売・産経・日経・東京)の
憲法記念日の社説を読み比べる。

今年、最も印象的だったのは、
もはや論説・主張の機能を停止してしまった、ということだった。

世間には、モンスター・ペアレント(モンペア)がいて、
あまりかかわらずにいたい、なんていう後ろ向きな感情もなくはないが、
日本では、モンスター・ガバメント(モンガバ)なるものが出てきた。
昨年の朝日新聞、今年のNHKやテレビ朝日などが標的にされ、
バッシングの対象となる。皮肉なことに同業者の中傷も相乗化し、
予想以上の自縛作用と、萎縮・自粛が働いてしまったようだ。

しかし、モンガバは、端的に言ってしまえば「独裁」に他ならない。

自ら論陣を張ることができなくなってしまったので、
タイトルと内容は二分された。
朝日「上からの改憲をはね返す」
毎日「国民が主導権を握ろう」
東京「『不戦戦士』の声は今」
上記3紙は、読者に考えるようなメッセージを、

読売「まず改正テーマを絞り込もう」
産経「独立と繁栄を守る改正論を」
日経「憲法のどこが不備かもっと説明せよ」
上記3紙は、どちらかというと政治家に注文をつけているようだった。

論説の題材としては、憲法9条や安保体制等の性急な改憲が難しいので、
災害時の緊急事態条項や環境権等の内容に手を付け、
「お試し改憲」として国民の改憲のアレルギーを緩和させて
本丸を攻める、という筋書きを意識している。
また、今になっての「押しつけ憲法」論にも触れている。

朝日新聞の社説は、タイトルが全てを物語った。
「上からの改憲をはね返す」そう、「はね返せ」と書けなかったことだ。
ちょっと前なら「はね返せ」と書いたのではないだろうか。
昨年の吉田調書・吉田証言のバッシングが相当に効いているのだろう。
邪推かもしれないが、今回の社説は尻込みする空気が漂い、
執筆した論説委員(恐らく女性?)が書いた内容を社内的に
擦り合わせた産物に思えた。(上記、あくまで邪推。当たらないように…)
朝日は、サンゴのように傷ついた我が身の回復を待つしかないだろう。
そんな時間があるかどうか、分からないが…。

毎日は、「押しつけ憲法」について、丁寧に解説している。
社説を読む前に、様々な特集記事を読むと、ことのほか、分かりやすい。
また、実際に集団的自衛権の行使を伴う場合の現場の困惑も報告している。

東京は先の戦争で死線をさまよった、故・小島清文氏のことを書き、
戦争というものの愚かさを書き綴っている。
新聞一面には、美輪明宏反戦歌、メルケル独首相の記事を載せ、
戦後と向き合うことをしっかりと伝えている。

読売は、それこそ「粛々」と改憲への道程を見据えている。
安倍首相の米国訪問の成果を評価している。
憲法については、書こうにも書けないのかもしれない。

産経は、改憲の記事の中にも、どことなく浪花節を感じるような印象だった。
白洲次郎南原繁芦田均まで持ち出して、政治家・学者の
綿々たる呪怨を書いているように思えた。

日経は、どことなく開き直りの境地にある印象だった。
今までの「護憲」「改憲」ではどうにも行かないから、
もう違う次元で話し合え、というような感じだった。

「押しつけ憲法」が何かと話題だが、先の米国議会での安倍首相の演説で
「安保法制を夏までにまとめる」といった勝手な口約束こそが、
米国の「押しつけ」にはならないのだろうか。
それについては、どの社説にも書かれていなかったのが
大いに印象的だった。