花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景・三たび はじめに

安保法案のあとさき


日本国憲法百景」の三回目を書くことにした。
このカテゴリーは、周を重ねるごとに
荷物というか足枷が重く課せられているような気がする。

しばらく書かなかったあいだ、日本は大きく変質した。
本日9月19日未明(午前2時ごろ)
安保法案が参議院で可決・成立した。

戦後70年にわたって守られていた平和の一角が崩れた。
集団的自衛権を可能とし、混迷を極めた政府の説明の要点は、
戦争国家、アメリカ合衆国が世界で繰り広げて浪費している
戦争へのコストをカネだけではなく、ヒトも差し出せ、ということであった。

日本各地で、市民のデモが繰り広げられ、
8月末の日曜日には、12万人が国会議事堂を埋めた。

そこから先は、政府与党と警察による狡猾な進め方で
安保法制に反する動きを封じ込めようとしたが、
かえって、それらのえげつなさを衆目に晒すこととなった。

メディアは特にNHKが巧妙な人事施策によって、
政府一辺倒の報道となった。
首相のヤジを「自席発言」としたり、
両論併記という悪習をタテに、
少数派の安保法案賛成の集まりを大きく取り上げたり
まさに画面から悪臭が漂っていた。

衆参両院とも与党多数であるから
この法案は通過するだろうと予想されていたが、
与党のここまでの悪辣さと
野党のここまでの懸命さは
誰もが予想を超えたものであろう。

次の選挙は参議院が来年夏。
どうせそれまでに忘れるだろう、という見方や
それまでに賛成の雰囲気を醸成させる何か仕掛けがあるかもしれない。
野党も市民も、この日に味わった苦い味を記憶しておこう。

記憶は、記録と忘却とのたたかいである。


前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を
深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげて
この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。