愚短想 番外編 【閉店の風景】道玄@高田馬場
「あの」道玄が、いつの間にか閉店になっていた。
「あの」というのは、いつ潰れても不思議ではない、
と思いつつ、結構長持ちしていたからだ。
開店は2009年頃だったと思う。
無化調スープはコクもしっかりしていて美味しかったが、
いかんせん、それ以外が「貧相」で、「高い」。
素材などにこだわりがあったようだが、大盛で千円超えても
食べごたえがなかった。
サイドメニューもグラタンなどは値段の割に小さかった…。
後半の頃は、なぜかシュークリームを売っていた。
寿司屋がカツ丼を始めたような危うさを感じていた。
思えば道玄の記憶は、早稲田通りの角の呼び込みが一番強い。
一日中、暑い日も寒い日も、雨の日にも角に立って宣伝していた。
目が半分しか開いていないときもあって、
あの兄ちゃん大丈夫だろうか、と思ったりした。
味のうるさいと思われる客に叱られていたりしていたなあ…。
それから人が変わって、立て看板だけになって、
いつの間にかなくなっていた。
気づかずになくなっていたのは
なにか物悲しいものを感じた…。
「あの」というのは、いつ潰れても不思議ではない、
と思いつつ、結構長持ちしていたからだ。
開店は2009年頃だったと思う。
無化調スープはコクもしっかりしていて美味しかったが、
いかんせん、それ以外が「貧相」で、「高い」。
素材などにこだわりがあったようだが、大盛で千円超えても
食べごたえがなかった。
サイドメニューもグラタンなどは値段の割に小さかった…。
後半の頃は、なぜかシュークリームを売っていた。
寿司屋がカツ丼を始めたような危うさを感じていた。
思えば道玄の記憶は、早稲田通りの角の呼び込みが一番強い。
一日中、暑い日も寒い日も、雨の日にも角に立って宣伝していた。
目が半分しか開いていないときもあって、
あの兄ちゃん大丈夫だろうか、と思ったりした。
味のうるさいと思われる客に叱られていたりしていたなあ…。
それから人が変わって、立て看板だけになって、
いつの間にかなくなっていた。
気づかずになくなっていたのは
なにか物悲しいものを感じた…。