花鳥風月記

流れる水に文字を書く

魚住 昭 『官僚とメディア』

イメージ 1

本書は、近年のジャーナリズムの衰退について、西山事件共同通信での体験・
耐震偽装事件・オウム事件ライブドア村上ファンド・NHKと朝日新聞
裁判員制度など、近年の過熱する集中豪雨的報道と「国策捜査」と表する官僚の横暴
を緻密に書き上げている。

渡邉恒雄 メディアと権力』『野中広務 差別と権力』などを読んでいたので、
筆者の筆力は事前に分かっていたものの、新書のスペースでこれだけのことを書ききる、
というのは、正直すごい。というよりも、それだけ世の中が大変だ、ということなのでしょう。
目を引いたのは、情報幕僚という節のp126のこの部分だった
………………………………………………………………………………………………………………
「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。あのとき新聞の論調
は我々が弱腰になることを許さなかった。我々だって新聞にたたかれたくないから強気に出
る。すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」
 この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、私はそれまで新聞は軍部の圧力
に屈して戦争に協力させられたのだと思い込んでいたからだ。それが事実でなかったとした
ら、私たちが教えられた日本のジャーナリズム史は虚構だったということになる。
………………………………………………………………………………………………………………
個人の良心と組織の論理が相反することは良くあることだが、真面目であればあるほど、
自分が絡めとられ、いつしか暴走する、ということが日常茶飯事のように起きている。
それは官僚組織でも大企業でも、そしてメディア機関でも同じだ。
そして、いつの時代も、人間は決して打たれ強くない。「報道」という力、それは
良くも悪くも影響力がある。力の無いものは存在否定まで責められ、
権力を持つものや強いものには「面子を潰される」ということになろうか。
だから権力者はメディア操作を仕掛け、長い時間を経て、それが完成しつつある。

権力の暴走をチェックする、という意味で、多くの若者はメディアに憧憬を抱きつつも、
それがもはや「幻想」に近いことが見えてくる。
魚住氏は最後に「メディアはだれのものか」という言葉で締めくくっているが、
市民から離れていってしまっていることは想像に難くない。

「わが道を行く」という気合のあるメディアは生まれないものだろうか。
案外、30年か40年位まえのように、鉛筆と伝書鳩を使って、植字・活版印刷
古い新聞を作ったら、良いのが出来そうな気がする。
無意味に携帯で呼び出されること無く、つまりは自分の判断で仕事をができる。
情報戦争は潔くあきらめ、別次元のクオリティで勝負する。
紙面化まで時間をかけ、正確な報道第一にして校閲もしっかりできる。
紙面はせいぜい12ページくらいにして、内容重視。
また、生活は最低限の保障するくらいにして、後は筆一本の勝負。

なんか起業したら上手くいくのではないだろうか。