花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(10) 大きいもの・小さいもの

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我が家のテレビが壊れてしばらく経つ。
新型テレビや中古の製品を探しつつも、これといった決め手がない。
とりあえずは、29型テレビ台の上に14型のテレビが鎮座している。
いわゆる「茶の間」では、14型テレビは「威厳」がない。
そんなテレビで、ブルース・ウィルスの演じる、米軍賛歌の映画を観るも
迫力に欠ける。

ただ、母親がひとこと「昔はみんな小さいのから始まったんだから」と。

この言葉には2つの意味を受け取った。
一つは、各家庭の経済状況の中から、次第に豊かになるプロセスとして、という考え方。
もう一つは、家族の人数に従って、大きさが変わる、ということ。

ものすごく前のことだが、朝日新聞で連載されていた4コマ漫画「フジ三太郎」で、
炊飯器を扱ったものがあった。
新婚時代の小さな炊飯器から、やがて子どもがうまれ、食べ盛りになり、炊飯器も大きくなる。
やがて子どもが自立して、2人の小さな炊飯器に戻る。
何かほのぼのとして、いわゆるペーソス溢れる印象を受けた。
(一体何年前のものなのか、覚えていること自体、自分でも恐ろしくなる…)

さて、テレビは時代とともに、確かに見なくなってきた。それにおカネをかけるなんて、
という思いはある。
そしてその一方で、もうテレビというのが、家庭の主役ではなく、一人一人の相談相手というか、
「小さな友達」くらいなものでもいいのではないか、とも思えるようになった。

どんな家電製品でも、自分たちのライフスタイルに合わせたサイズ、というのがあるのかもしれない。