GENESIS 『SELLING ENGLAND BY THE POUND』
高校時代の後輩に誘われて、プログレのアマチュアバンドに入ったことがある。
担当はベースだったが、譜面も読めないただのコピーバンドの経験しかない自分にとって
楽器店店員のギターさんがいたそのバンドは、興味があったものの、その人のオリジナル曲を
コピーするのが大変だった。(耳コピが大変だった)
結局は、4回ほどスタジオに入ってから、ギターさんにクビを宣告されたが、
いま思えば、それで良かったと思う。
その当時「来年春ごろにバンドのオーディション番組がある」とちらっと言っていたが、
それがじつは「イカ天」だった。(話が古いなあ…)
実際、その人らしき人が出たバンドもあったが、見事ワイプアウトされていた。
そのギターさんがGENESISの「シネマ・ショウ」は最高、と言っていた。
GENESISはそのころも、フィル・コリンズが中心となったバンドで、
「ザッツ・オール」が既に売れていた。
ピーター・ガブリエルの時代は全く知らなかったものの、中古レコード店で見ると
奇抜な衣装が印象的だったのと、数多くのブート盤が出ていたので、ずーっと気にはなっていた。
いろいろと音楽を聴きだしたころ、ようやく見つけたのが、この『SELLING ENGLAND BY THE POUND』
というCDだった。
当時はレコード作品のCD化が頻繁に行われ、このCDは以前は『月影の騎士』という
レコードアルバムで1973年に出たものだった。自分の関心も当時の流行りモノよりも、
こういった古いレコードやCD化されたものが中心だった。
聴いてみると、新しい。プログレではやや後期でロック的要素が入った、と言われているCDだが、
歌詞(勿論訳詩だが)が深く、サウンドも面白い。1973年だから、機材的な限界があるものの、
サウンドはとにかく斬新的だった。ハマる人が多いわけだ、とも思った。
ただ、当の「シネマ・ショウ(THE CINEMA SHOW)」については、サビのフレーズが、
空耳で「閉めましょう~」と、京都の町屋の襖をしずしずと閉めるような語感がコミカルだった。
当時のバンドには既にフィル・コリンズも入っていた。
その後、フィル・コリンズの努力によって、ズバン!と抜けるようなドラム音が作られ、
多くのミュージシャンが当たり前のように使っていいったのは有名な逸話。
また、フィル・コリンズはソロでも「Against All Odds」をきっかけに大売れし、
その余勢もかって、GENESISでも、大売れした。
とんでもないくらいの大富豪ぶりは、自身で牧場か農園を所有し、そこでスタッフ全員を養い、
レコーディングやら、なにやら全て自分で賄える、ということを聞いたことがある。
また、ピーター・ガブリエルも、その後、「SO」というアルバムが売れ、ワールドミュージックに
方向性を切り替えていった。ユッスー・ンドゥールとのデュエットなどが記憶に残る。
最近は、ビデオ作品のDVD化が進んでいる。
かつてのレコードのCD化とそっくりそのままの路線で、
昔の映像が手に入りやすくなったようなので、
探してみたいと思う。
担当はベースだったが、譜面も読めないただのコピーバンドの経験しかない自分にとって
楽器店店員のギターさんがいたそのバンドは、興味があったものの、その人のオリジナル曲を
コピーするのが大変だった。(耳コピが大変だった)
結局は、4回ほどスタジオに入ってから、ギターさんにクビを宣告されたが、
いま思えば、それで良かったと思う。
その当時「来年春ごろにバンドのオーディション番組がある」とちらっと言っていたが、
それがじつは「イカ天」だった。(話が古いなあ…)
実際、その人らしき人が出たバンドもあったが、見事ワイプアウトされていた。
そのギターさんがGENESISの「シネマ・ショウ」は最高、と言っていた。
GENESISはそのころも、フィル・コリンズが中心となったバンドで、
「ザッツ・オール」が既に売れていた。
ピーター・ガブリエルの時代は全く知らなかったものの、中古レコード店で見ると
奇抜な衣装が印象的だったのと、数多くのブート盤が出ていたので、ずーっと気にはなっていた。
いろいろと音楽を聴きだしたころ、ようやく見つけたのが、この『SELLING ENGLAND BY THE POUND』
というCDだった。
当時はレコード作品のCD化が頻繁に行われ、このCDは以前は『月影の騎士』という
レコードアルバムで1973年に出たものだった。自分の関心も当時の流行りモノよりも、
こういった古いレコードやCD化されたものが中心だった。
聴いてみると、新しい。プログレではやや後期でロック的要素が入った、と言われているCDだが、
歌詞(勿論訳詩だが)が深く、サウンドも面白い。1973年だから、機材的な限界があるものの、
サウンドはとにかく斬新的だった。ハマる人が多いわけだ、とも思った。
ただ、当の「シネマ・ショウ(THE CINEMA SHOW)」については、サビのフレーズが、
空耳で「閉めましょう~」と、京都の町屋の襖をしずしずと閉めるような語感がコミカルだった。
当時のバンドには既にフィル・コリンズも入っていた。
その後、フィル・コリンズの努力によって、ズバン!と抜けるようなドラム音が作られ、
多くのミュージシャンが当たり前のように使っていいったのは有名な逸話。
また、フィル・コリンズはソロでも「Against All Odds」をきっかけに大売れし、
その余勢もかって、GENESISでも、大売れした。
とんでもないくらいの大富豪ぶりは、自身で牧場か農園を所有し、そこでスタッフ全員を養い、
レコーディングやら、なにやら全て自分で賄える、ということを聞いたことがある。
また、ピーター・ガブリエルも、その後、「SO」というアルバムが売れ、ワールドミュージックに
方向性を切り替えていった。ユッスー・ンドゥールとのデュエットなどが記憶に残る。
最近は、ビデオ作品のDVD化が進んでいる。
かつてのレコードのCD化とそっくりそのままの路線で、
昔の映像が手に入りやすくなったようなので、
探してみたいと思う。