花鳥風月記

流れる水に文字を書く

陸に上がった軍艦

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「今日はお祭りですが、
 あなたがいらっしゃらないでは、
 何の風情もありません」

渋谷のユーロスペースにて。
95歳になる新藤兼人監督のドキュメンタリーを基にしたドラマ半分の映画。
本人の証言による出演と、32歳当時の新藤を蟹江一平(敬三の息子)が演じる。
新藤監督は以前、赤坂TBS近くの蕎麦屋(長寿庵?)でもりそばを食べている所を
見たことがある。だから何だ、といわれれば、それまでだが…。

新藤監督は、この映画で、戦争を正しく伝えたい、英雄や武勇伝でなく、
本当の弱兵を、弱い人間の姿と軍隊の狂気を描きたい、とのことだった。
入り口の掲示板に森達也のコメントが出ていてドキュメンタリー「ドラマ」というのが
気に入らなかった、というような内容の雑誌の切り抜きがあったが、
確かに、映画の作りとして、大御所に細心の配慮を払った、という「空気」を感じることがあった。
とにかく、新藤監督の中にしかないリアリティなので、そのイメージを現実にするのは
結構大変な作業ではないか、と思った。

弱者の視点からみる戦争は哀しくも滑稽な様子であった。
無抵抗の弱者に暴力を振るう。それが「愛情」として軍隊の精神を叩き込むこととなり、
それが人間としての「個」を破壊する。
戦争末期には、靴を逆さに履き、相手をだます作戦を真顔でやらせ、
木製の戦車に、これまた木やダンボールで作ったような地雷を投げつける訓練をする。
ちなみに新藤の所属は海軍であったが、軍艦に一度も乗ることも無く、終戦を迎える。
「陸の上の軍艦」とは、「畳水練」という言葉に通じ、また「丘サーファー」
という皮肉な姿にも受け取れる。
但し、事実は鋭く人を抉る。召集された100名のうちの生き残りは6名で、
新藤はその1人という事実も重く受け止めている。

パンフレットには「笑い」ということも書かれていたが、会場からは笑い声が漏れなかった。
笑いよりも何かあきれて・切ない印象を得た。
作り手が「笑い」を求めていたかどうか分からないが、
これは回想シーンが全てモノクロだったからではないか。
現代の映画においては、モノクロは思い出や、つらい過去で使われることが多く、
「笑い」を取るのが難しいのではないか。昔からモノクロ映画を観ている人達は別、
ということになれば、その人たちは映画に通じた人たち、ということになる。

インタビューや、現在の映像はカラーで、32歳当時の映像はモノクロで作られていたが、
これは逆の方が良かったのではないか。記憶が「白黒」というよりも、鮮明なカラーである
方がリアリティを感じる。そのリアリティが何か、ということは解釈が分かれるが、
少なくとも何かを感じて欲しい(それが「笑い」なら)きっかけとなる。

パンフレットではモノクロのシーンが全てカラーの写真になっていた。
実際、そちらの方が面白そうだなあ、と感じたのも事実だった。
この違いが、結局は作り手の満足だけで終わってしまう、という不満につながってゆく。
但し、パンフレットには、製作費に関してのエピソードも書かれており、
「作りたいものをつくる」ことが大変であることが書かれていた。

ここ最近、戦争に関するドキュメンタリー映画を立て続けに観てきたが、
この映画は、もっと深くてもよかったのではないか、と思った。