花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(13) 小田実の死を悼み、岸井成格に物申す。

小田実が30日の未明、亡くなった。
中流の復興』の書評を掲載するとき、「書いているときには亡くならないだろうなあ」と
不安に感じながら、少し急いで、本を読んだ。勿論、小田実本人の目に触れることはないだろうから、
あくまでも自分個人の感情でしかないのだが…。
直接面識があったわけではないが、何か親近感のある存在だった。
ほんとうに「良いオッサン」を亡くした…。
進歩的文化人」という今となっては古い言葉でも、それを最後まで貫いた人だと思う。
冥福を祈りたい。

このブログでは、あまり政治的な話を書く気はなかったが、
今回はあまりにも目に余ったので、例外的に書く。
29日の参議院選挙の開票速報がテレビ各局で行われ、
自民大敗の中、繰り広げられた選挙報道で、
とんでもない失策(本人は気付いていないかもしれないが)をした人間がいる。岸井成格である。
安倍晋三総理大臣が、選挙情勢に対しての質問に答えている際、
「新しい国づくり」「美しい国づくり」をこれからも進めてゆきたい、と惨敗しながらも
その言を曲げないところについて、何の突込みも入れなかった。
昔気質の新聞記者なら、どんどん突っ込みを入れたはずだ。
日本国憲法は『主権在民(国民主権)』であって、国をつくるのは国民(市民)であり、
 安倍氏本人ではない。ましてや、選挙でこれだけ惨敗した、ということは、選挙民が
『もういらない』ということでしょう!」なんてことは、岸井氏くらいであれば
反射神経として出てきて当然ではなかったのか。今でも覚えているのが、
辻本清美の秘書給与詐取疑惑の際、議員辞職しないで、国会でとことん戦う、といった時に
岸井氏は厳しく、そして諭すようにテレビで怒鳴っていた。
歴史に「もし」はないが、あの中継の時に、岸井氏の厳しい追及で、安倍氏が涙でも流そうものなら、
総理の続投なんてことは言える状況にはならなかったのではないだろうか。
やっぱり血統書つきの坊ちゃまには、政治家記者は甘くなってしまうのか。

別に岸井氏に「恨み」があるわけではないのだが、他局を見ても、ど素人やお笑いタレント・
老いぼれた評論家など、まともに、そして厳しいコメントができる人間がいない。
やはり新聞記者叩き上げの岸井氏が「最後の」コメンテーターとしての役割があったのではないか。
それに気付かなかったのが、本当にかなしい。