花鳥風月記

流れる水に文字を書く

『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一

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文科系人間にとって、優しい理科系の本。生物学の本。
書き手がサイエンスライター科学ジャーナリストの手法も意識して書いている。
恐らく、実際の大学での授業も、生徒に分からせるために
いろいろと話し方を考えているのだろうなあ、と見て取れる。
京都大学を卒業し、米国留学で研究者生活を送り、その日常と、
生物学の歴史、特に遺伝子構造について、分かりやすく書いている。

関心が引くのは、「生命とは何か」という問いかけである。
さまざまな学者の回答例が並ぶ中、一番関心を引いたのは以下の一節だった。(134~135ページ)

小さな貝殻はなぜ美しいのか
 夏休み。海辺の砂浜を歩くと足元に無数の、生物と無生物が散在していることを知る。
美しいすじが幾重にも走る断面をもった赤い小石。私はそれを手にとってしばらく眺めた
後、砂地に落とす。ふと気がつくと、その隣には、小石とほとんど同じ色使いの小さな貝
殻がある。そこにはすでに生命は失われているけれど、私たちは確実にそれが生命の営み
によってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体
何を私たちは見ているというのだろうか。
「生命とは自己複製するシステムである」
 生命の根幹をなす遺伝子の本体、DNA分子の発見とその構造の解明は、生命をそう定
義づけた。
 貝殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見て
そこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が
集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている
硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動
的なものだけが発することのできる美である。

生物によってなしえる「美」への追究が生物学への誘い(いざない)になってゆくのも
ロマンがあって良いかと思うが、日々、実験マウスとのにらめっこの反動とも思える。
仕事の語り口と実際が異なるのは、良くあることだ。ただ、現実に失望するのではなく、
現実の中から、または自分の志のなかに一分のロマンがあれば、それで良いと思う。
ロマン溢れる理科系人間の輩出に期待したい。