花鳥風月記

流れる水に文字を書く

酔いどれ詩人になるまえに

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銀座テアトルシネマにて。このときは、終了後、タテ・タカコという方のミニライブがある、
ということで、結構混んでいた。開始10分前の受付では、前列か2階かの席しかなかった。
映画は、アメリカの作家、チャールズ・ブコウスキーの作家修行時代の自伝小説を映画化したもの。
勤労者という次元とは対極にある、自分の成り立ちを呪いながらも、その日暮らしを重ねて行く。
酒と女に溺れ、社会からは放逐され、放浪しつつも、文章を書き続ける。
出口の見えない暮らしの中で、日々思うことは、ますます先鋭化してゆく。
(またもやうろ覚えだが)劇中の「自分はみじめであることを決して手放さない」という
言葉は、最悪の状況のなかでも、常に自分を「観察」し、冷たい眼で見つつも、楽しんでいる、
という印象を受けた。
無頼であること・アウトローであることは、(ある種、成功している)男の羨望の的になる。
ただ、「自伝」だからこそ潜む「ハッピーエンド」的な展開を想像してしまうと、
何となく陳腐な感じを受ける。
まだ、貧民街でのたくって、潰れてゆき、生涯を閉じる、といった方が、潔いと思うのだが。
(昔、そんな映画を観た気がする。「聖なる酔っぱらい」だったか…)
主演のマット・ディロンは往時の繊細な美少年から想像がつかないほど、
ごっついオッサンになっていた。(勿論、そう演じているのだと思うが…)
ただ、若い頃から持っていたヒールな感じが、この映画でも出ていて良かったと思う。
「溌剌」とは対極の「淀んだ」映画だったが、それが好きな人には堪らないのだろう。

終了後、タテ・タカコのミニライブがあった。髪を短く刈り込んでいたので、
見た目が、すし屋の見習いの小僧のような感じだった。
足にファッション足袋を履いていたのが印象的だった。
歌は表情豊かに、綺麗な歌声を披露していたが、なにぶんにも映画後でのライブは
客も出演者も「間」が続かない、といった感じだった。
3曲、15分ほど歌って、すぐに退出、となった。