花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(21) 自転車考

放置自転車を見ると、自転車の存在価値がどんどん下がっているのを感じる。
少し前には、「家財道具」として大切に扱われていた。貴重な移動手段だった。
使用の権限は先ず父親にあり、子供が「間借り」をする、という時代があり、
景気が良くなるにつけて、子供専用の自転車が出てきた。
仮面ライダーを思わせるようなヘッドライト、5段変則ギア、後輪横に着けるカゴなど、
業者は競って機能やスタイルを変えたものを作った。
当時は、そんな自転車を乗る子供と、つま先立って大人の自転車を乗る子がいた。

やがて成長して、子供用自転車は「卒業」し、誰もが乗れる無難な自転車になり、
「一人一台」の時代になっていった。いまでは1万円台の自転車も出てきた。
その反面で、高級化や多機能化も進み、電気動力付きや、スポーツ品・ブランド品も出てきた。

今まで自転車を盗難されたことは何度もあった。
先日、親が買った自転車は3日と持たず、盗まれた。
新品だったのが目立ったのかもしれない。今までなら大事件だが、最近は諦めが早い。
勿論、防犯登録はしてあるが、それで見つかったのは今までで1度しかない。

だんだんとビニール傘と同じような感覚になってきているのかもしれない。
たしかに、今の自転車は、他の嗜好品に比べると相対的に金額が安くなっている。
この先には、原付バイクあたりもそうなるのかもしれない。

また、「駐輪はタダ」という「暗黙の了解」も崩れていった。
例えば自分が住む最寄駅では、線路高架下の駐輪場は、登録制で無料だったものが、
年間3,000円になり、駅地下に、(誰も頼んでもないのに)駐輪場を作り、
今までの場所を締め出され、月額3,000円が取られるようになった。
半年もすれば1台が買える。その時点で自転車の利用を諦めた。
大体どこを見ても、今までの放置を解決しようとして、駐輪場を拵えるが、
駅から離れているか、お金がかかるかで、利用されていないことが多いのが実情だと思う。
ものの価値が下がっているのに、土地の利用価値(価値観)が下がっていないので、
余分にそのギャップが、放置自転車拡大につながるのではないかと考える。

盗まれた自転車の後に、父親が自転車を譲り受けた。
プジョーのスポーツタイプの自転車で、かなり高額な感じのものだ。
かぎは2つ付け、一つは木に括り付けている。
管理がめんどくさい(やはり自転車としての利用価値・観が下がっているのを実感)が、
それで近くの公園を走ると気持ち良い。