愚短想(27) ボードビリアン・マルセ太郎について
今日は、キリンの「一番絞りスタウト」を飲んでみる。
スーパーで売り切れていて、コンビニで購入。
「売り切れ」を見て期待したが、黒ビールなのに、コク味がない。
ややハズレ。ギネスにすればよかった。
マルセル・マルソーが亡くなったそうだ。パントマイムで有名ということは知っていたが、
実際の演技は観たことがない。
むしろ、彼の名前を元に芸名を付けたマルセ太郎には、いろいろと思い出がある。
マルセル・マルソーの訃報を知ったとき、マルセ太郎がいつ亡くなったか、
思い出したら、もう、6年以上経っていた。
マルセ太郎は、スタミナトリオあたりのコメディアンとしてではなく、
ピン芸人として「スクリーンのない映画会」を観て、興味を持った。
著作としては、「芸人魂」「奇病の人」の2冊がわりと簡単に書いている割には、
味わい深い文章だった思い出がある。
また、別の本で映画の批評「見たいから」というコラム(日記)では、
演じる人間としての真摯なまなざしが、深く印象に残る。
彼が演じた「泥の河」は、一人芝居でありながら、かつて見た映画のシーンが
鮮やかに蘇る。「きっちゃーん!」と呼ぶ子供の声は、底抜けにあどけなく、
また、「中村秀十郎物語」では、腹水を抜きながら演じる脇役の主人公が、
ラストに「それは豪儀なことで(記憶がすこし曖昧)」と腹の底から発した言葉の瞬間に
拍子木がキン、と鳴り、現実世界に戻るタイミングが、絶妙だった。
また、講演(トークショウ)では、パントマイムを交えて、「皮膚」で感じたことを、
率直に語っていたのが、印象的だった。
確か亡くなる前、両国かどこかで、月イチペースで上演していて、1回は観たいと思って、
いざ、というときに、日にちを1日間違えて行けなかったことがある。
そのまま、観る機会を逸したのが、今でも悔やまれる。
マルセ太郎は、狛江在住で、そこの小劇場に度々足を運んでいたこともあり、
「芸人魂」には、サインをもらった。
また、渋谷のジアン・ジアンで観て、アンケートを書いた時には、お礼のハガキまで
もらった。ひとりひとりの観客を大事にする姿が心に残る。
学歴はあるが、笑いに底のない今の芸人を見ると、「コメディ」も廃れつつあるのかもしれない。
スーパーで売り切れていて、コンビニで購入。
「売り切れ」を見て期待したが、黒ビールなのに、コク味がない。
ややハズレ。ギネスにすればよかった。
マルセル・マルソーが亡くなったそうだ。パントマイムで有名ということは知っていたが、
実際の演技は観たことがない。
むしろ、彼の名前を元に芸名を付けたマルセ太郎には、いろいろと思い出がある。
マルセル・マルソーの訃報を知ったとき、マルセ太郎がいつ亡くなったか、
思い出したら、もう、6年以上経っていた。
マルセ太郎は、スタミナトリオあたりのコメディアンとしてではなく、
ピン芸人として「スクリーンのない映画会」を観て、興味を持った。
著作としては、「芸人魂」「奇病の人」の2冊がわりと簡単に書いている割には、
味わい深い文章だった思い出がある。
また、別の本で映画の批評「見たいから」というコラム(日記)では、
演じる人間としての真摯なまなざしが、深く印象に残る。
彼が演じた「泥の河」は、一人芝居でありながら、かつて見た映画のシーンが
鮮やかに蘇る。「きっちゃーん!」と呼ぶ子供の声は、底抜けにあどけなく、
また、「中村秀十郎物語」では、腹水を抜きながら演じる脇役の主人公が、
ラストに「それは豪儀なことで(記憶がすこし曖昧)」と腹の底から発した言葉の瞬間に
拍子木がキン、と鳴り、現実世界に戻るタイミングが、絶妙だった。
また、講演(トークショウ)では、パントマイムを交えて、「皮膚」で感じたことを、
率直に語っていたのが、印象的だった。
確か亡くなる前、両国かどこかで、月イチペースで上演していて、1回は観たいと思って、
いざ、というときに、日にちを1日間違えて行けなかったことがある。
そのまま、観る機会を逸したのが、今でも悔やまれる。
マルセ太郎は、狛江在住で、そこの小劇場に度々足を運んでいたこともあり、
「芸人魂」には、サインをもらった。
また、渋谷のジアン・ジアンで観て、アンケートを書いた時には、お礼のハガキまで
もらった。ひとりひとりの観客を大事にする姿が心に残る。
学歴はあるが、笑いに底のない今の芸人を見ると、「コメディ」も廃れつつあるのかもしれない。