花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (30)

「寛容」の彼岸

「寛容」という言葉が嫌いである。
なぜなら、「寛容」は無関心の裏返しだからだ。
何か問題があるときにやさしく包み込もうをするその姿は、
無条件に対象を愛する行為(いわゆるアガペー)なのか
それとも、目の前の問題を包み隠そうとする邪(よこしま)な心なのか。
人と接するとき、「仲良し倶楽部」然とした印象の中に、
常にそういった危惧を抱きながらも、こじんまりとした組織に属している。

ある意味では、「個」を失った集団安全保障の一形態であるし、
また、お互いを侵食(侵略)しない不文律でもある。

実は反面で、それ自体お互いの首を絞めていることにならないか。
何か問題があった時に、穏便に、悪く言えば「なあなあ」で済ませていないか。
真実を語る口が重くなればなるほど、人はやさしく振舞おうとする。
自分を守るふりが、自分を窮地に陥れ、そして互いに落ちて行く。

「一匹狼」(古いなあ…)の生息地はだんだんと少なくなっている。
勿論、人間であれば、生じうる諸問題に対して
「団結」「連帯」「共闘」という道筋は作られるだろう。
しかし最も厄介なのは、動かない「仲良し倶楽部」だったりする。


第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。