花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(65) 「耳障り」と「癒し」そして酒井俊

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年明けの仕事は4日から始まり、それでも正月を味わおうと
無理?をしたため、睡眠時間が少なく、早くもガス欠状況。
人間は、くたびれていると、音に敏感になる。
今日(昨日だが)は、仕事が7時半に終わり、本屋にでも寄ってから帰ろう、と
それが少しばかりの「癒し」か、とも思ったが、
入った本屋では、電話の音がけたたましく鳴り響き、
少しも癒されず、頭にきて即座に出てしまった。考えろよ、芳林堂。
しかし、電話の音を聞いて、なんかシンドクなるというのも、
結構危険信号か、とも思ったので、酒井俊を聴こうと思った。

これまで数々の危機を救った酒井俊
本当は、最近のString Trioのレパートリー
特に「電車は出てゆく」や「The World Keeps Turning」を聴きたかったが、
CDとして発売されていない。
つくづく、年末の吉祥寺MANDA-LA2を、仕事でスルーしてしまったことが悔やまれる。

よって、2001年から聴き続けている「四丁目の犬」を改めて聴いた。
もう、このアルバムは、通勤の際のヘビーローテから考えると、数百回は聴いているが、飽きない。
いつ聴いても、「満月の夕」はわくわくするし、「追憶(The way we were)」は心癒される。
ただ、自分は、2003年から通勤で音楽を聴くのを止めた。

最近は、「ウォークマン」というのが、死語になり、
携帯端末プレーヤーで音楽を聴いている人が多い。
自分はすっかり乗り遅れているが、音楽なのに「楽しく」聴いている人は見ていて少ない。
通勤や道行く人々の1コマでしかないのだが、何かを「守っている:防御」ような雰囲気さえ感じる。
今日の極めつけは、自宅のある団地のエレベーターで乗り合わせた人が、
その僅かな昇降時間に音楽をヘッドフォンから漏れるくらいの音量で
聴き始めたことだった。これには、いい加減、あきれた。

ゆっくりと、楽しく聴きたい。そう思ってから、ポケットにしまう音楽は
聴かなくなってしまった。