花鳥風月記

流れる水に文字を書く

宮地尚子 『環状島 トラウマの地政学』

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自分が使用しているパソコンがとうとう壊れた。
直るかどうかわからないが、このブログの文章・画像を
パソコン本体に保存していたため、先行き不安。

さて、今回の本は、『トラウマの医療人類学』に続いて読んだ。
一研究者として、または、専門家・知識人など、その問題に携わる時の
自分の立ち位置について概要を分析している。
「環状島」というモデル提起は興味深く、読者を強く引き込む。

かつて、大学の国際関係論のゼミで、山本吉宣『国際的相互依存』という本の
「イッシュー・エリア」という項目と相似していると感じた。(100ページ)
人間社会の織り成す問題には、そういったダイナミズムがある。

この本では、さまざまな運動のなかで、やがて意見の食い違いや、内部分裂により、
次第に衰退しているプロセスも丁寧に追い・論じている。
研究者として、あくまで冷静で客観的な視点だが、それは、研究者としての
立ち位置も、冷徹に分析している。

運動が永遠なものでないこと、そして必要なもののみに部分的な連帯を求める、
ということは、去年亡くなった小田実の『中流の復興』にも書いてあったと思う。
長く経験を積んだ運動家や研究者は、そういった見通し・見地に至るのだろう。

最後に、筆者は「当事者からいちばん遠い人を想像すること、いちばん遠い人を
悼み、愛し、つながろうとすることが、逆説的に、<内海>にいちばん近く深く
寄り添うことになるのかもしれない」(215ページ)とある。
これは「心に刻み 思いを馳せる」に通底する。
その言葉は、研究者・専門家・知識人、あるいは運動家・協力者どの立場においても、
疲れきったときにでる言葉ではあるまいか。

ここまでが、まともな感想。少し突っ込みをいれるなら、
173ページの図「研究者の位置」のイラストは誰のセンスなのだろうか。
少しいただけない。