花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (39)

一線を越える

人間の中には、「正」と「負」または「正」と「邪」が混在する。
あるいは心理学的にいえば、本来のありえない姿を「影(シャドウ)」と呼び、
絶えずその誘惑に駆られることもあるだろう。

人間の性格の中には、絶えずオセロゲームのように、白黒入り乱れる。
どちらかの色に染まったとき、「一線を越える」ことになるのではないか。
(アタックチャ~ンスがあればいいが…by児玉清)

ただ、思うのは、その一色に染まるとき、何か「背徳の美学」というか
それを肯定づけてしまうような論理、
もしくは逆に全てを否定するかのような跳躍(決して飛躍ではない)が
生まれてしまうのではないか。

もしかしたら、それは間違っているようでいて、
しかしながら現代社会に病む「快楽のようなもの」が
潜んでいるのかもしれない。

「一線を越える」ことは、確かに何か理由があろう。
そして、その跳躍は、「突然変異」ということだけではなく、
その人間に潜む、ある「定向進化」の発露とも考えられる。
だからこそ、その道筋をしっかり追うこと、自分の足元を見ることが
事の「真相」に迫る一里塚になることだろう。

自分の中に潜む「負・邪・影」を抱えて楽しく生きられるのなら、
人間として立派だろう。


第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を
      受ける権利を有する。
    2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、
      又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
    3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。
      被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。