いのちの食べかた
先日、3歳の姪っ子が、テレビを見ていて、
イボイノシシが捕まり、両足を吊るされているシーンを見ていた。
母親が「ハーちゃんはお肉が好きでしょ、お肉はああしてできるんだよ。
あの人たちも生きるためにやってるんだよ」と話していた。
姪っ子はきょとんとしていた。まだ早いのかもしれない。
今回の映画はR-12指定だった。でも、もっと下げても良いと思う。
渋谷のイメージフォーラムにて。
原題は「OUR DAILY BREAD(日々の糧)」という題。
現代社会の食生活に対し、
どのようにして、「生産」されているかを追ったドキュメンタリー。
ナレーションもインタビューも台詞もない。
ただ、鶏・豚・牛などが、生まれ・生かされ・食肉とされる
過程を追っている。しかし決して飽きさせない。
映像の中で、何が展開されていたかは、後でプログラムで確認できる。
観た印象で強いのが、ここまでオートメーション化されているのか、
という驚きだった。また、人間が長年培った技術に、
時に造形美のようなものを感じた。
しかし、その反面で、「いのち」にたいする冒涜意識も否定できない。
監督も、プログラムにあるインタビューの中で、タイトルに続く言葉は
「主よ、お許し下さい」だろうと応えていた。
時期的には、遺伝子組み換え食品やBSEや鳥インフルエンザなど、
食に対する不安が大きかった頃だと思う。
ここで扱われる企業は、きっと「良い」企業なのだろう。
(これは次回の映画評と対照的になる)
最初と最後のシーンは、工場の洗浄だった。
勿論、見て安心、ということが目的ではないだろう。
屠殺がいかに行われ、また商品になるべく切り分けられる姿は、
残酷であるようでいながら、鮮やかでもある。
それが、何か「罪悪感」といったものが僅かばかりでも緩和されていく。
いや、その「罪悪感」も生きるために抱え込むものなのだろう。
それが、「いのち」にたいする「感謝」になる。
解体の返り血をつけながらも、昼食を取る婦人。
笑顔が素敵だった。
イボイノシシが捕まり、両足を吊るされているシーンを見ていた。
母親が「ハーちゃんはお肉が好きでしょ、お肉はああしてできるんだよ。
あの人たちも生きるためにやってるんだよ」と話していた。
姪っ子はきょとんとしていた。まだ早いのかもしれない。
今回の映画はR-12指定だった。でも、もっと下げても良いと思う。
渋谷のイメージフォーラムにて。
原題は「OUR DAILY BREAD(日々の糧)」という題。
現代社会の食生活に対し、
どのようにして、「生産」されているかを追ったドキュメンタリー。
ナレーションもインタビューも台詞もない。
ただ、鶏・豚・牛などが、生まれ・生かされ・食肉とされる
過程を追っている。しかし決して飽きさせない。
映像の中で、何が展開されていたかは、後でプログラムで確認できる。
観た印象で強いのが、ここまでオートメーション化されているのか、
という驚きだった。また、人間が長年培った技術に、
時に造形美のようなものを感じた。
しかし、その反面で、「いのち」にたいする冒涜意識も否定できない。
監督も、プログラムにあるインタビューの中で、タイトルに続く言葉は
「主よ、お許し下さい」だろうと応えていた。
時期的には、遺伝子組み換え食品やBSEや鳥インフルエンザなど、
食に対する不安が大きかった頃だと思う。
ここで扱われる企業は、きっと「良い」企業なのだろう。
(これは次回の映画評と対照的になる)
最初と最後のシーンは、工場の洗浄だった。
勿論、見て安心、ということが目的ではないだろう。
屠殺がいかに行われ、また商品になるべく切り分けられる姿は、
残酷であるようでいながら、鮮やかでもある。
それが、何か「罪悪感」といったものが僅かばかりでも緩和されていく。
いや、その「罪悪感」も生きるために抱え込むものなのだろう。
それが、「いのち」にたいする「感謝」になる。
解体の返り血をつけながらも、昼食を取る婦人。
笑顔が素敵だった。