花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(80) 目黒雅叙園のカール・マルクス

今日(実際は昨日)の朝日新聞に、目黒雅叙園の記事が出ていた。
百段階段が特別に公開されていた、との記事だった。
豪華絢爛な結婚式場としても有名だが、6年ほど前に一旦、経営破綻した。
その後、外資や他のウェディング会社の傘下に入り、
現在も、その豪華っぷりは、健在のようだ。

かつて、全く縁のなさそうなところに、一度だけ行ったことがある。
16年前、大学5年生の頃(←ここがポイント)、作家の辺見庸の講演会だった。
貧乏学生が、おまけに作風と真逆な感じの作家の講演会で、
どんな経緯でそれが行われたが、記憶に定かではないが、
たしか企画をした女性の、たっての希望で、会場が決まったらしい。
その代わり、費用は、社会人5,000円、学生3,000円だった。高かった。
講演中出てきた、サンドウィッチを凄く味わって食べようと思ったが、
あっという間に食い終わった記憶が残っている。
トイレの床がガラス張りで、鯉が泳いでいて、結構驚いた。
豪華にも程があるし、鯉は、魚眼で人間の排泄行為をどう見ているのか、
と思うと、鯉に生まれなくて良かったと思う。

当時、辺見庸は、『自動起床装置』で芥川賞を取って間もない頃だった。
共同通信記者として、中国報道で輝かしいキャリアを持ち、
かつ、小説家の一面を持ったその話は、非常に興味深かった。
当時のメモが見当たらないので、記憶だけになってしまうが、
例えば、「事実」に対する認識。絶対的な「事実」は存在しえず、
必ず、というよりも大多数の「隠れた」事実がある。
「写真」も50ミリ(?だったか)以外は、大きさそのものが変わるので、
「事実」全てを写し出しているわけではない。
また、今この時点で(1992年)、マックス・ウェーバーカール・マルクス
書いていることが、新鮮味を帯びて伝わってくる、と話していた。

1992年といえば、東欧革命・ソ連の崩壊など、マルクス主義が根底から
否定され、また、その一方で、新古典派による経済政策も破綻し、
(その後、日本は「失われた10年」を経験する)
いわゆる「スタンダード」であったものに、疑心暗鬼だった時代に、
この辺見庸の言葉は、決して状況に流されていないことが印象的だった。
その後、精力的な著述活動や、脳出血や大腸がんに見舞われながらも、
彼の著作や活動を見ると(決して詳しい訳ではないが)、視点が
一貫して、低く・重く・深いことが分かる。

講演終了後、購入した本に、サインを貰ったが、宛名を聞かれて
カール・マルクス」と答えた。本人は苦笑していた。
結局は、普通の名前で書いてもらった。
その後、目黒雅叙園とは階級差のある居酒屋で辺見庸を囲んで2次会をした。

目黒雅叙園カール・マルクス」という名称は、結構気に入っていて、
いつか使いたいと思っている。