花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (47)

「すること」と「いること」

あなたの仕事には期限があって、時にはそれよりも早く終わりますよ。

最近では、契約社員の待遇面も良くなってゆき、
3年間継続した場合、正社員への登用も選べるようになる
(選べるように企業もしなければならない)仕組みができている。

勿論、今回取り上げたいのは、国会議員のことではあるが、
いわゆる代議士(正確には衆議院議員のみを指す)には、
終身雇用などというものはない。
いつ何時解散になるか分からないし、常に当選する訳ではないはず。

参議院にしても、時間が限られている分だけ、その期間内で行う
仕事へのモチベーションとはいかがなものか。

ある種確信犯的な問いではあるが、「政治家」とは職業か?
突き詰めれば、そんな職業はない。
純然なアマチュアリズムに徹すれば、あらゆる職業から代表される
構成員が、議会を構成に様々な立場から(その利益を代表して)意見を述べるもの。

「政治家」という職業が何となくあることに事の問題点が浮き彫りになる。
なぜ政治家が存在するかといえば、もうここで述べることはない。

ここで「勇気ある省略」を行うが、ここでは
「すること」と「いること」に対する当事者のモチベーションの問題がある。
もし、本当に職業として考えるのであれば、何を「仕事」と感じ、
いろいろしてゆくのか、立ち向かっていけるのか。
または、立場の保全に汲々とし、あらゆる利益代表を買って出て、
権益の権化となって、ながらく自己の立場を万全なものにしてゆくこと。
これが、「いること」。

じつは「選んでいる」ようでいて、「選ばされている」ことが多い。
やはり「すること」に注目して、「いること」の価値をあまり見出すべきではなく、
度々の選挙で厳しい眼をもつことが、民主主義にとって大事な要素である。
こんな時代なればこそ。

第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、
      その期間満了前に終了する。

第四十六条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに、議員の半数を改選する。