花鳥風月記

流れる水に文字を書く

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程〈みち〉

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テアトル新宿にて。
以前よりも改装され、綺麗になっていた。
水曜日が1,000円で観られるということもあり、
平日の11:30の上映なのに、盛況だった。
客層は、相応の年代の人が多かった。

学生運動を扱った映画と言えば、16年くらい前に
「怒りをうたえ」というのを観たことがある。
11月23日に、人形町にあった勤労福祉会館で行われた。
学生運動を扱う映画の上映が珍しく、テレビ局等も取材に来ていた。
上映と集会、という感じで、会場では「沖縄そば」が売られていた。
新谷のりこが「フランシーヌの場合は」を唄い、
高野孟が「法政カルチェラタン」という題で講演していた。
(後日、人づてに聞いた話では、この時何を話したかまったく覚えてない、とのこと)

3部構成の8時間にもわたる映画だった。
当時の学生運動のきっかけであった安保闘争と学費値上げ阻止を軸に
「安保解体」「ベトナム即時撤退」「沖縄無条件返還」が闘争課題。
後に、成田の三里塚闘争も触れていた。

学生運動は危ない」という短絡的な思考が働く世代で
大学を過ごした当時の自分にとっては、20年前の騒擾が
どういうものなのか知りたいとは思っていた。
ただ、徒に各派・セクトの略歴を朗々と自慢げに語る人には聞きたくなく、
大上段に切り捨てる論も受け入れがたかった。
急ぐわけではないので、時間を待った。

今回は、事件から36年経った現在、先鋭化された組織の病理的な
内容を明らかにしている。間接的に知っていた内容が、
改めて理解することになる。
「実録」という表現・手法については、見解の分かれるところだが、
今回は、日活映画とは違う、作り手の迫力が前面に表れていた。

「怒りをうたえ」では、つねに時間を意識するように、映像に
様々な時計が表示する時刻を映し込んでいたが、
今回の映画は、「実録」の部分の「記録」にこだわり
テロップを使っている。もっとも、この手法が有効であると
知らしめたのが、映画の手法ではなくテレビではあったが、
よくよく考えると、あさま山荘事件が、テレビ報道の新時代を
作ったことは確かである。

坂井真紀は迫真の演技をしていた。
他の配役が、台詞の内容に苦心しながら演じていたのに比べ、
素の自分を持つ女子大生を演じ、やがてそれすら全否定「総括」され
人間が壊されていく姿が、この映画をしっかりと落ち着かせた。
ただ、重信房子役は今イチで、その雰囲気に
当初坂井が引きずられた感があったのが少々残念。

あさま山荘のシーンについては、鉄球による破壊シーンは
恐らく表現できなかったのだろう。(再現自体が嘘っぽくなる)
あっさりと切り捨て、中からの衝撃を受けたシーンにしたのは賢明だった。

この事件は現在も、全てが終わっているわけではない。
この映画で出るような「革命」が起きることは殆どないにせよ、
人々の記憶の中には脈々と受け継がれ、15~20年には一度
世に問われることはあるのかもしれない。
それが、人間社会の正常な機能ともいえよう。