ヤーチャイカ
渋谷のシネマ・アンジェリカにて。
写真映画という手法で、静止画によって、物語を紡いで行く。
はじめに谷川俊太郎・覚和歌子の詩作をイメージした世界があり、
それに映像が合わさって行くつくりになっている。
主な登場人物は、香川照之と尾野真千子。
「殯の森」でもそうだったが、尾野真千子は「過去のある女性」の役が印象的。
その他は、「3年B組金八先生」に出ていた高松いく(巫女役)と
主人公の昔の恋人、合わせて4人。
ヤーチャイカとは、ソ連初の女性宇宙飛行士テレシコワが、
地球に向かってメッセージを送る際の自分の愛称(かもめ)だったそうだ。
「写真のナラティブ」という性格上、登場人物にも、ストーリーに費やす時間も
制限(というか限界)があったように感じた。
動画として伝えるものと、メッセージとして伝えるものが、
この映画では「逆転」していたように思う。
それが「新鮮」なのか「実験的」なのか「意欲的」なのか
判断がつかなかった。
なぜなら、敢えてその「限界」の設定が必要だったのかがわからなかった。
見るものにとっては、美しい風景の中で、「風」や「温度」を感じたかったし、
言葉はメッセージ(文字)として感じたかった。
(もっともこの辺は、TVのテロップに毒された感もあるが…)
映像美であれば、もっと追究して欲しかったし、
限られた状況でのストーリーなら、モノクロ画像も含め、
もっと挑戦的でも良かった気がする。
「動」のなかで「静」を表現する
「静」のなかで「動」を演技する
これはきっと永遠の課題なのかもしれない。
写真映画という手法で、静止画によって、物語を紡いで行く。
はじめに谷川俊太郎・覚和歌子の詩作をイメージした世界があり、
それに映像が合わさって行くつくりになっている。
主な登場人物は、香川照之と尾野真千子。
「殯の森」でもそうだったが、尾野真千子は「過去のある女性」の役が印象的。
その他は、「3年B組金八先生」に出ていた高松いく(巫女役)と
主人公の昔の恋人、合わせて4人。
ヤーチャイカとは、ソ連初の女性宇宙飛行士テレシコワが、
地球に向かってメッセージを送る際の自分の愛称(かもめ)だったそうだ。
「写真のナラティブ」という性格上、登場人物にも、ストーリーに費やす時間も
制限(というか限界)があったように感じた。
動画として伝えるものと、メッセージとして伝えるものが、
この映画では「逆転」していたように思う。
それが「新鮮」なのか「実験的」なのか「意欲的」なのか
判断がつかなかった。
なぜなら、敢えてその「限界」の設定が必要だったのかがわからなかった。
見るものにとっては、美しい風景の中で、「風」や「温度」を感じたかったし、
言葉はメッセージ(文字)として感じたかった。
(もっともこの辺は、TVのテロップに毒された感もあるが…)
映像美であれば、もっと追究して欲しかったし、
限られた状況でのストーリーなら、モノクロ画像も含め、
もっと挑戦的でも良かった気がする。
「動」のなかで「静」を表現する
「静」のなかで「動」を演技する
これはきっと永遠の課題なのかもしれない。