愚短想(99) 星のめぐりや占いなど…
今日は母親の「誕生日」だった。
なぜかっこ書きかというと、今になって、
誕生日がずれていたことが分かったからだ。
旧暦との違いは約1ヶ月。
星占いに嵌っているひとは、「ひつじ座」とは何だったのか、
多少の苦悩はあるかもしれない。
幸いにうちの母親はそういったこととは無縁な性格。
つくづく、占いとは何、と感じた。
血液型なんかもそう。
自分は、30過ぎるまで血液型を知らなかった。
多分B型だろう、という感じだったが、結果はA型だった。
ちなみにAでもBでもABでも「いかにも」という声は上がった。
かつて、朝日新聞の伊藤千尋さんにジプシーの占い師について話を聞いたことがある。
その占い師は、「自分の将来が知りたいだろう」と持ちかけ、おカネを取る。
「おまえは将来結婚するだろう」
まあ、ごく自然の結論だ。
「もっと知りたいか」という問いにうなずくと、さらにおカネを取る。
その先は
「おまえは将来子どもを授かるだろう」
「おまえは家を購入するだろう」
など、騙されているかのような話が続く。
しかし「おまえは将来3人息子ができる」は見事的中したそうだ。
なお、この占い師は、子どもが男か女かどちらかが産まれるか占うときは、
「おまえは男の子が産まれるだろう」といったときには、ノートに「女」
「おまえは女の子が産まれるだろう」といったときには、ノートに「男」と
書いておくらしい。
すると、占いが外れたとき、文句を言いに来た親に
「おまえは聞き違いをしている。ここに書いてある通り、予言のとおりではないか」
と言い返すようだ。(そりゃ来るとしたら大体は外れるからだろう…)
つまり「占い」というものは、一服の清涼剤のようなもので、
その言葉をきいて「安心」や「安全」を感じるようなものなのだろう。
まあ、言葉は「言霊(ことだま)」だし、「言騙し(ことだまし)」かも知れない。
ということで、今までの「誕生日」とはちょっと角度が違う感じもするが、
ちょっと奮発したドイツワインと、千疋屋の「窯出しチーズケーキ」を買って帰った。
なぜかっこ書きかというと、今になって、
誕生日がずれていたことが分かったからだ。
旧暦との違いは約1ヶ月。
星占いに嵌っているひとは、「ひつじ座」とは何だったのか、
多少の苦悩はあるかもしれない。
幸いにうちの母親はそういったこととは無縁な性格。
つくづく、占いとは何、と感じた。
血液型なんかもそう。
自分は、30過ぎるまで血液型を知らなかった。
多分B型だろう、という感じだったが、結果はA型だった。
ちなみにAでもBでもABでも「いかにも」という声は上がった。
かつて、朝日新聞の伊藤千尋さんにジプシーの占い師について話を聞いたことがある。
その占い師は、「自分の将来が知りたいだろう」と持ちかけ、おカネを取る。
「おまえは将来結婚するだろう」
まあ、ごく自然の結論だ。
「もっと知りたいか」という問いにうなずくと、さらにおカネを取る。
その先は
「おまえは将来子どもを授かるだろう」
「おまえは家を購入するだろう」
など、騙されているかのような話が続く。
しかし「おまえは将来3人息子ができる」は見事的中したそうだ。
なお、この占い師は、子どもが男か女かどちらかが産まれるか占うときは、
「おまえは男の子が産まれるだろう」といったときには、ノートに「女」
「おまえは女の子が産まれるだろう」といったときには、ノートに「男」と
書いておくらしい。
すると、占いが外れたとき、文句を言いに来た親に
「おまえは聞き違いをしている。ここに書いてある通り、予言のとおりではないか」
と言い返すようだ。(そりゃ来るとしたら大体は外れるからだろう…)
つまり「占い」というものは、一服の清涼剤のようなもので、
その言葉をきいて「安心」や「安全」を感じるようなものなのだろう。
まあ、言葉は「言霊(ことだま)」だし、「言騙し(ことだまし)」かも知れない。
ということで、今までの「誕生日」とはちょっと角度が違う感じもするが、
ちょっと奮発したドイツワインと、千疋屋の「窯出しチーズケーキ」を買って帰った。