花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (58)

自助と自浄のあいだ

ちょっと前に「居酒屋タクシー」が話題になった。
財務省の深夜残業組を当て込んで、タクシー運転手が、
酒やつまみを用意して乗客にふるまう、というもの。

不景気の波をかぶりやすい業界において、長距離利用者が欲しい。
そんなリアルな思いが、そこにはあるのだろう。
運転手といえども、そんなに営業努力ができるわけではない。
自らを助けるために、冷えたビールやつまみを置くことになったのだろう。

当然、そこに乗り込む人間にとっては、
もうそれが当たり前のようになっているのだろう。
きっとタクシー代は経費落ち、公務員の経費は血税だろう。
いくら「社会の公僕」といえども罪の意識は、軽く・脆いものなのかもしれない。

何かに特権や利権があることについては、どこの世界にもあるだろう。
「魚心あれば水心あり」で、互いの利益を享受するのは
ある意味「必要悪」なのかもしれない。

最近でこそ見かけなくなったが、よく新聞の拡販の際に、
巨人戦や映画のチケット、洗剤を持ってきたことは、
昔の風景として思い出す。(今もあるのかな?)

しかし、「必要悪」の「悪」が「必要」以上に出てきたら、
それは単なる「悪」でしかない。
常識という「一線」を超えてしまえば、あとは歯止めが効かない。

どんな組織でも「自浄能力」は甘いとされる。
利権が無くならなければ、当然とも言える。
「自助」の積み重ねがこういった「利権」になるのなら、
「自浄」というのは、その「自助」の絡まった糸を解くことから
始めなければならないのだろう。

国の経済の動静を握っているだろうと思っている人たちにしてみれば、
足元にある事実を(意図的かもしれないが)見過ごしているのは矛盾だ。

第五十五条 両議院は各〃その議員の資格に関する争訟を裁判する。
      但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の
      多数による議決を必要とする。