LIVE AID
今日は昼食抜きの夕食はひとり「なか卯」。
帰宅後、中学時代の友人に電話し、
その後、芋焼酎をひとしきり飲んだら、
なんとなくLIVE AIDのDVDを観たくなった。
1985年の7月13日は、ちょうど高校生の頃。
隔世の感もあるが、当時を思い出すと、12時間くらいのTV番組で、
いかにビデオ収録するかが課題となっていた。
友人はソニーのベータマックスのため、5時間が限界で、睡眠不足覚悟で収録。
(そののちベータは消えたが、画質・音質とも良かったらしい)
当時の我が家のビデオは三菱のその時ですら年代モノで、
リモコンはコードがつながっていて、カセットデッキのような感じだった。
おまけに録画の最初の音質が歪み、半分壊れかけていた。
もっとも、その被害にあったのは、ブラックサバスとオジー・オズボーンだったので、
歪んでも大差なかった気がする。
このDVDは、保存すら考えられなかった映像が、MTVの倉庫から
偶然見つかったことから端を発する。
画像は良くないが、当時を追体験できた。
また、当時のビデオも残っているので、たまに観ると面白い。
司会は逸見政孝。日本人も参加しよう、とスクエアや杉山清貴あたりの唄が流れていたが、
1分でも多く、LIVE AIDの映像を流して欲しかった。
スタイル・カウンシルのポール・ウェラーは若い・カッコイイ。
ずいぶん前に、赤坂BRITZで、ライブを見に行った思い出が蘇る。
U2のピチピチ学ランも懐かしい。
フィル・コリンズはここでピアノをとちるんだよなあ、とか、
スティングがブランフォード・マルサリスと共演して、のちに
ソロでバカ売れしたんだよなあ、と当時を偲んだ。
偲んだといえば、やはりクイーンは圧巻だった。
ホームグランドと言えるウェンブリー・スタジアムが大きく揺れていた。
観てて鳥肌モノだった。
最近の曲の訳が分からなくなっている反動もあるせいか、
音楽シーンだけでも「あの日に帰りたい」by荒井由美。
帰宅後、中学時代の友人に電話し、
その後、芋焼酎をひとしきり飲んだら、
なんとなくLIVE AIDのDVDを観たくなった。
1985年の7月13日は、ちょうど高校生の頃。
隔世の感もあるが、当時を思い出すと、12時間くらいのTV番組で、
いかにビデオ収録するかが課題となっていた。
友人はソニーのベータマックスのため、5時間が限界で、睡眠不足覚悟で収録。
(そののちベータは消えたが、画質・音質とも良かったらしい)
当時の我が家のビデオは三菱のその時ですら年代モノで、
リモコンはコードがつながっていて、カセットデッキのような感じだった。
おまけに録画の最初の音質が歪み、半分壊れかけていた。
もっとも、その被害にあったのは、ブラックサバスとオジー・オズボーンだったので、
歪んでも大差なかった気がする。
このDVDは、保存すら考えられなかった映像が、MTVの倉庫から
偶然見つかったことから端を発する。
画像は良くないが、当時を追体験できた。
また、当時のビデオも残っているので、たまに観ると面白い。
司会は逸見政孝。日本人も参加しよう、とスクエアや杉山清貴あたりの唄が流れていたが、
1分でも多く、LIVE AIDの映像を流して欲しかった。
スタイル・カウンシルのポール・ウェラーは若い・カッコイイ。
ずいぶん前に、赤坂BRITZで、ライブを見に行った思い出が蘇る。
U2のピチピチ学ランも懐かしい。
フィル・コリンズはここでピアノをとちるんだよなあ、とか、
スティングがブランフォード・マルサリスと共演して、のちに
ソロでバカ売れしたんだよなあ、と当時を偲んだ。
偲んだといえば、やはりクイーンは圧巻だった。
ホームグランドと言えるウェンブリー・スタジアムが大きく揺れていた。
観てて鳥肌モノだった。
最近の曲の訳が分からなくなっている反動もあるせいか、
音楽シーンだけでも「あの日に帰りたい」by荒井由美。