花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(103) ねんきん特別便―「安心」の背景

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遠いテレビの世界のことと思って、実は身近にあったこと。
ねんきん特別便」が自分にも送られてきた。
年明けに来ていたが、郵便物に無頓着なこともあり、
半年近く放置していた。
先日、督促状のようなハガキがきて、ようやく重い腰を上げる。

まず、専用ダイヤルで電話してみる。つながらない。
1回目は、ここで終了。向こうの都合で時間を割きたくない。

10日ほど、日をあけて、2回目にようやくつながるものの、
電話代は市内料金分かかる。
向こうのミスで、こっちが電話してるのに電話代をとるのか、
と思いながらも、関係ない人からいえば「じゃあ、税金つかうのか」と反論もあろう。
世の中は、おカネの使い方を正しく細かく考えるとかえって損をするのか。
居酒屋タクシー云々も考えながら、電話がつながるのを待つ。

相当な数をこなしたであろう、オペレーターは、そつなく対応する。
自分の記録で、実に3年程、記録漏れがあった。
言われたとおりに修正して、投函。

それにしても、なんでこんなことになるのかなあ。

将来に向けて禍根が残るようなことが最近多い気がする。
ある種の「事なかれ主義」なのか、
もしくは、「つつがなく続く時間の一部分にいるだけ」というのか
その底流には、悪く言えば堕落ともいえる「安心」がある。
その安心が続くと人は歪み、続かない不安になると攻撃的になる。

もっとも、近年は「不安」が急に若い世代にのしかかり、
潰されてしまっているような気もしなくはない。

「安心」にも積極的な側面と、消極的なものがあり、
近年は消極的なものが大きいのでは、と思ってみる。