花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(106) 書泉西葛西閉店に思う

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7月21日、書泉西葛西が閉店した。
7月に入って気づいたため、あっという間の出来事だった。

西葛西は、人口の割には、図書館が乏しく、
かつてより「インドのテレビ普及率なみ」と思っていたが、
最近では、電子立国インドのテレビ普及率はかなり上昇し、
今や西葛西は日本で一番、インド人比率の高いであろう街になった。

出版不況という文脈で考えるべきか、とも思うが、
折りしも、21日の朝日新聞の「私の視点」欄で永江朗氏が
指摘しているように、本自体が読まれない、というよりは、
新刊書離れや、複雑な出版流通構造に問題がある、と考えた方がいいだろう。

要は単純で、本が作られ過ぎている、ということではないだろうか。
それも結構高い金額で。
そして「使い捨て」に近い扱いにもなっている気がする。

これは、映画にも共通しているのだが、いつのころからか、
映画や本の値段が上がり、たくさん観て・読んで楽しむ、
ということが困難になった。
それに代わったのが、テレビというアクセス自由な
無料のメディアであった。まず映画はそこから衰退した。

本は、古本などの流通が整ったことや、
より自由な文字メディア=インターネットの普及などで、
人々の「目」が奪われた。

こう考えると、今の出版不況は、
自分で自分の首を絞めているような気がしてならない。
どこがが、「この指とまれ」じゃないけれども、
負の連鎖を断ち切るアクションが必要なのかもしれない。
勿論、中には「面白い本」が売れれば後は自然淘汰だ、
という向きもあるだろう。
スキャンダルや過剰広告の「売らんかな」は遠慮したいが。

まあ、面白い本はいつでも存在するが、
それは決して数が多いわけではない、ということは間違いない。

本屋で過ごす「マッタリ時間」は休日の贅沢でもあるんだけどなあ…。